がんを取材してきた私たちが”乳がん”になった 46歳、両側乳がんになりました 65

検査・告知・手術・仕事復帰・・・誰かのお役に立てればと綴ります。

いつもお読みいただきありがとうございます。今回は、ちょっといつもと趣向が違います。今回は発売されたばかりの本『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!?~育児があるのにがんもきた~』の原作者、藍原育子さんとの患者トークです。

がんを取材していた私たち、がんになりました

藍原さんはがんなどの医療記事を中心に執筆活動をしている編集・ライターさん。
『取材していたがんになった』、いわば私と同じ思いを感じた方の一人です。yahoo!ニュースの記事を見ていただき、その後番組も見ていただいていたそうです。SNSで私を発見していただいて今回ご縁をいただきました。藍原さんは2013年に乳がんと診断され、2014年に右の全摘手術、その後ホルモン治療。お子さんを育てながら治療。5年経ち、治療がひと段落ついたことから、本を構想、7年たった今年、”乳がんと生きてきた毎日”を描いた本が出版となりました。

(このインタビューは動画でも御覧になれます。)

『番組を見て、親への告知ができていなかったこととか、がんの知識があったにも関わらず、実際に自分がなってみたら思ったより慌てたとか共通点がたくさんあった。』と藍原さんは初めに話してくれました。

藍原さんもがんを取材して書いてきたものの”自分ごと”としては受け入れられず、さらに患者会も知っていたし、つながりもあったけれども同じ病気の方とのつながりに入っていけずに、孤独を深めていったそうです。時期を置いて、そんな自分を振り返ったからこそ、『つながること』の大切さとつながれない人をどう救っていったらいいか、を私の番組、そして、ご自身の本を作りながら考えていたそうです。

あくつ(あ):『読んだ瞬間に、私と同じだと思いました。がん=死という刷り込みがなされてきたのでがんに対してネガティブな反応しかできない。そうじゃない生きるメッセージだったり、どう乗り越えていくのかというメッセージの方が出すべきだし、そういうものに触れたい、と大学生にも言われたばかり。』

藍原(藍):『お正月の人気ドラマでもありましたけど、がんになったのって言って、そのあとのシーンは”でももう大丈夫”なんですよね。その間に流れていることはたくさんあって、そこを全部エンタメで描けとは言わないんですけど、そこのつらさを書いているもの、情報はすごく少ない。自分はとてもそこが長かったし、つらかった。なんでないんだろうという風におもって。ずっと書きたいなとは思って。でも書けなかったんですね。』

”ライターにあるまじき意欲のなさ”に悩む日々

藍:『告知されてから入院中は猛烈に原稿を書いていました。すべて記録してやる、世に絶対出すんだという気持ちで書いていたんですけど、それが退院してからパタっと書けなくなった。もうあとはやることはやりました。経過観察です、となってから毎日メモを書こうとおもってもつらい、いたい、だるい、外に出たくない。ライターにあるまじき意欲のなさというか。それでもうめげてしまって、もう手術の直前までメモをとり、原稿を打ち込んでいたんですけど、ピタっと触らなくなってしまって。』

『世の中には闘病記も闘病ブログもあるんだし、もういいんじゃないかと気持ちにフタをしました。そこからのつらさは私の甘えなんだ、という思いが多かったので、ずっとふたをして、本にもあるんですけど。下がって下がって下がって・・・。混迷を極めていくんですけど。その間はそれを文章にする、言葉として発信する、とところまで浮上できなかった。』

と当時を振り返る藍原さん。本の巻頭には”退院こそが始まりで、仕事と育児と治療の両立、体力の低下、将来への不安、押し寄せる罪悪感・・・”と書かれています。精神腫瘍科(※呼び方はいろいろ)に通い、”がんは自分の一部なんだ、と受け入れ、5年かけて家族と共に再生していく”その日々を綴ったのが今回の本です。

藍:『5年経って、ホルモン治療がふと段落したときに今、声をかけてくださった編集さんとお会いしておそらく、噴き出るものがあったんだと思います。私の中に、もともと知り合いなので、私の家族のことも病気のことも話していたうちのひとりだったので。おそらくグツグツした気持ちをちゃんとみてくださって、”今”だからかけることがあるんじゃないですかと言われて。情報の鮮度としては落ちてしまっているし、いまさら私が書くというのは、私の中では手術までの闘病記しか頭になかった。退院してからのこの歳月のことを書くのは頭に浮かばなかった。』

ふと浮かんだ”自分のイメージ”

藍:『山の中腹に腰かけていて、登山客がのぼってくるんですけど、自分がちょっと腰かけているところから、こっちの道だと少し楽かもしれない。こういう装備あると、早く、楽に上れるよ、という風に声をかけているイメージが浮かんで。よし、書いてみるか、と2019年にスイッチ入った。書き始めたら早かった。メモとってなかったけど、よく記憶しているなと。』

お子さんに言えなかった人、正直多い!

あ:『母親に(手術前に)言えていなかったのが共通点。知識があるからこそいえなかったのではないかと勝手に想像していて。そして、お子さんに言えないという方も取材の中では多くて。すぐ言って、頑張る方もいるし、言わずにいた人もいる。お子さんに言うときの気持ちとか、その苦労はどうでしたか?』

藍:『それもいろいろ鬼リサーチをしまして、NPOや大学の先生にも取材して、子供は(どんな年代でも)知るべきだ、知るべきであるというのは最初のころからわかってはいたのです。自分の子どもがまだ3歳だったので、まずわかるかどうかがあって、成長していくにつれてなんとか伝えようとわかりやすい絵本とかあるじゃないですか。ママががんになっちゃった的な、それを本棚にいれておいたりはしたんですけど選ばなかったのか読みたくなかったのかわからないけど、娘の方からそれを読むことはなくて、絵本好きな子なのですが手に取らなかった。そういう様子を見ていて、うちもまだ話す時期ではないのかなと。』

『常に言わなくては、説明しようとは思っていましたが、それが何歳だから言おうとかではないのかなと。実際に体験して自分で思う、ただ原稿として私は昔書いたことがある。”こどもには何歳であろうと告知、告げるべきです”と。書いていたけれどもできていない現状にもやもやしたものはずっとありました。結局、私が言えたのは娘が小学校1年生になったとき。それが遅かったのか早かったのかはわからないけど、”がんのひみつシリーズ”ってあるじゃないですかあれをずっと借りてきているときがありまして、”がんのひみつ”をずっと借りてきているときがあった。何もいわなかったんですけど、2回目に図書館に返しているときに話をしました。そしたら『あーーーー』っていう風にそんなにショックという感じではなかったんですけど腑に落ちたという感じ。点と点が線でつながったというか娘としては、私が長い時間いなかった。ママが胸にケガをしていた、具合悪そうなときがある。いろんな疑問が娘の中にはあって。それが一本につながったというようなことは言ってました。』

『話してよかったと思ったけど、早く話していたらそうはならなかったかもしれないし、子どもに話すべきだというのは、そのお子さんの成長とか性格とか特性とかよく親御さんが見てあげたほうがいいかなというのは自分が体験して思いました。あとそのあと話して病院に連れて行ったんですよね。形成につれていったのがそれがすごくよかったみたいで、がんっていって、そのあと病院へいくというと泣いていたんですね、よく。がんって死ぬ病気だって、いくら説明してもそこのところは子供にはうまく入らなかったので、でもその形成の先生がニコニコしていて、胸をいろんな角度から触って、大丈夫、キレイキレイというのを見て視覚的に理解したみたいで。ああ、ママのおっぱいを作ってくれた人なんだみたい。病院にいくといっても泣かなくなりました。一時期は病院へいくというと泣いていたので。親御さんのフォローって大変だな、と思います。』

あ:『いやあ、深い。ひとりひとり全然ストーリーが違うから。』

藍:『がんという病気もそうだし、乳がんにはいろんな選択肢もたくさんあるし、番組もつくるときに迷いませんでしたか?自分はこうだったけど、自分はたくさんの中のひとつの例でしかないから、間違っているという人もいるだろうし、でもひとつの例として見せていくことは大事なんだなと思うところまでだいぶ時間がかかりました。』

深い、深い、深い!私自身も作りながら感じていたことが共感できたり、同じことを考えていた人がうれしくて勇気づけられたりと楽しい時間でした。まだまだお話伺っています。”実はお互いにお互いのことを思っていたことが判明!”ということでインタビューは次回へと続きます!

★藍原さんの思いがつまった本は

『がんの記事を書いてきた私が乳がんに!?~育児があるのにがんもきた~』
【発売元:KADOKAWA 著者:内野こめこ(漫画)藍原育子(原作)】は1月14日から書店・ネット書店などで発売中です。

現在7話までコミックエッセイ劇場 コミックエッセイ劇場 で読むことができます。漫画で読める手軽さとココロの専門家、精神腫瘍科の先生とのやりとり(がんとの向き合い方)など文字のコラムも加わり、とてもためになります。チャーミングな藍原さんの特徴をとらえた、内野こめこさんの漫画は心にすっと入ってきます。乳がんと診断されたばかりの方にも周りにいる、という方にも、まったくそうじゃない方にも気軽に読んでいただけると思います。

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