松永光弘 プロレス人生最大の正念場…試合直前に妙案が!

【写真上】蛍光灯ヘッドバットの荒技を繰り出した葛西に、松永も真っ向から頭を突き出した【写真下】葛西にボブワイヤーボードの上でサソリ固めを決める松永。

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】松永光弘氏が悩みに悩んだ試合が、2000年4月30日に行われた蛍光灯ボブワイヤーボード裸足デスマッチだ。葛西純選手に15分39秒、サソリ固めで勝った試合だが、なにが松永氏を苦悩させたのか。

【2000年4月30日 松永光弘VS葛西純】

この時は、プロレス人生最大の正念場でした。札幌テイセンホール2連戦。私は葛西純選手とのシングルマッチで2日目のメインでした。

当時、大日本プロレスには、デスマッチ新世代と呼ばれた3人の若いデスマッチファイターが台頭していました。

私はこの時、ただ何となくテイセンホールの初日に札幌入りして、その日の試合を観戦しました。すると驚くべき光景を目にしたのです。その日のメインの若い2人が、蛍光灯ボードと有刺鉄線ボード合わせて合計10枚くらいのボードに次々と大技を連発していました。

これはそれまで、私が一番避けていたことでした。デスマッチアイテムに大技をやみくもに連発してしまうと、次回からやることがなくなってしまいます。いわばこれは禁断のデスマッチの形であり、決してやってはいけないことでした。しかし、新しい世代は先人を超えるためにこれを何のためらいもなく行っていたのです。

私は目の前が真っ暗になりました。2日目のメインの試合のために考えていたことを全て白紙にして、一から考え直さなくてはならなくなりました。初日の若い2人には、合計10枚ほどのデスマッチボードが用意されていましたが、2日目の我々に与えられたボードは4枚のみです。初日のメインに内容で負けてしまったら、ミスター・デンジャーの敗北を意味します。負けてしまえば即引退するしかないと思いました。

私はホテルに帰り、考えました。たった4枚しかないボードを使ってどうしたら前日の試合を超えられるか、ひたすら考えました。

何度も弱気になりました。もう素直に新しいデスマッチファイターに負けを認めて世代交代してしまおうかと思ったりもしました。

いったいどうしたらいいのか、前日との違いは何だろう? 我々ははだしである。しかし蛍光灯デスマッチをただはだしで行うだけでは意味がない。はだしだから面白い。それは何? たぶん勝てると確信して眠りに就いたのは、朝の5時でした。

会場に到着してからも、ひたすら考えました。まだまだ考えて足していこう。試合直前まで考えました。考えついたのは「蛍光灯の破片を葛西純の口の中に入れて蹴る」。新しい蛍光灯の使い方でした。

試合が終わり、世代交代の見出しをつけようと期待していたマスコミがつぶやきました。

「ミスター・デンジャー健在だ!!」

☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

© 株式会社東京スポーツ新聞社