【プロレス蔵出し写真館】2代目タイガーが初陣直前…ドン・ナカヤ・ニールセンとスパーしていた!!

タイガーマスクとスパーリングするマーシャルアーツの選手。その正体は…(1984年8月15日、米・ロサンゼルス)

「ジャイアント馬場23回忌追善興行」に2代目タイガーマスクが出場する。タッグを組む大森隆男は「しかし、2代目タイガーマスクの存在が気になって仕方ない…」とツイートしていたが、三沢光晴が亡くなった現在マスクをかぶるのは果たして…。

2代目タイガーマスクと言えば、東京スポーツ本紙はデビュー戦を前に単独取材を許されたのだが、その時の取材で三沢タイガーと、意外な男との練習風景を撮影していた。

三沢タイガーが初登場したのは今から36年前、1984年7月31日の全日本プロレス東京・蔵前国技館。この時は顔見せだけで、デビュー戦を行ったのは8月26日、東京・田園コロシアムでのラ・フィエラ戦だった。

本紙が単独取材したのは8月15日。12日に五輪が終わったばかりの地、米国ロサンゼルスだった。ブロードウェー通りから、ノースアベニュー19番を右に折れた古めかしいビル。昔、刑務所だったというそのビルの中にボクシングジムを中心とした格闘技ジムがあった。

ボクシンググローブをつけたタイガーはマーシャルアーツの選手と軽めのスパーリング。慣れないグローブをつけたタイガーは相手に押され気味。そして、この時のスパーリング相手が、後に日本でブレークする〝あの男〟だった。

ライトヘビー級1位だというその選手に名前を聞くと「ニールセン」と答えた。

そう、後にUWFの前田日明との異種格闘技戦で日本での人気が急上昇したドン・ナカヤ・ニールセンだったのだ。

この写真を撮影した2年後の86年。10月6日に東京・両国国技館で開催された新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE Part1」で異種格闘技戦が決まった前田の対戦相手がニールセンと週刊P誌がスクープした。その写真を見て「アッ、あの時の!」スパーリングを取材した本紙記者は思わず声を上げた。

プロレスVSマーシャルアールとして行われたこの試合は、開始早々ニールセンの強烈な左ストレートを食らった前田は記憶が飛んだまま試合を続け(試合後の前田談)、打撃をかいくぐり関節技、あるいはアキレス腱固めを狙うも、ニールセンに顔面を蹴られロープに逃げられてしまう。試合は非常にスリリングで迫力ある名勝負となり、前田が5R2分26秒、逆方エビ固めで勝利した。

この試合で前田は〝新・格闘王〟の称号を得た。前田に敗れたニールセンだが実力を見せつけ、「INOKI 闘魂 LIVE Part2」ではマーシャルアーツ戦に出場。

その後、88年5月8日、東京・有明コロシアムで行われた変身前の山田恵一との異種格闘技戦は4R1分3秒、レフェリーストップでニールセンが勝利。ニールセンの態度に激高した山田の骨法武術の師匠・堀辺正史師範が、試合を終えて引き揚げるニールセンに詰め寄るという番外戦も勃発した。

藤原喜明との異種格闘技戦(7月29日、有明)は、ニールセンが5R1分46秒、TKO勝ち。

6月23日にロサンゼルス近郊のジェットセンターで一触即発になった橋本真也との対戦が期待されたが、これは実現しなかった。

さて、ニールセンが三沢タイガーとスパーリングをした時、それを見ていたジャイアント馬場はニールセンに「レスラーになる気があるなら連絡するように」と伝えた。ニールセンにスター性、あるいは素質を感じたのだろうか?

結果的にレスラー・ニールセンは誕生することはなかったが、見てみたかった気もするのは私だけだろうか…(敬称略)。

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