金本知憲「自分でも怖いくらい」健康すぎて不振の皮肉

2004年の金本は不振にあえいだ

【球界平成裏面史・平成16年の金本知憲(2)】就任1年目の岡田彰布監督から4番を託された平成16年(2004年)の金本知憲外野手は「いかに体を張ってチームの先頭に立てるか。その覚悟や責任はあるし、批判は全部引き受ける」と鼻息を荒くしていた。

この年は阪神OBの三宅秀史が持つ連続試合フルイニング出場の日本記録にあと88試合と迫っており、本人もやる気満々だった。しかし一方で、トレーナー陣を中心に開幕2戦目の4月3日で36歳となる金本を巡り「新記録を達成したら、もうフルイニングはやめた方がいい。選手寿命が縮まってしまう」と“打ち止め論”が噴出していた。

実際、金本と親しいトレーナーの一人は「どんな選手でも年齢がいけば試合数も120、110と徐々に減り、その中で成績を残していくもの。目標の40歳まで満足できる数字を残そうとするなら休養は絶対に必要だ」と本人に訴えたという。別のトレーナーも、こう話していた。

「(優勝した)去年なんてもうやばい、パンクするというケースは何度もあり、実は本人にも『休んだ方がいい』と話もしている。持病の右ふくらはぎだけでなく、首、背中、腰、左肩と時間をかけて治療していかないとフルでは出られない体になっている」

もともと岡田監督も同意見で、金本に「いつまでもは続けられんやろ」と休養を“勧告”したこともあった。だが、虎の鉄人は「フルにはこだわりたい。もし、フルが終われば緊張の糸が切れ、自分でもどうなるか分からん」と言い、結論を棚上げしたままシーズンに突入した。

「金本4番」で臨んだ岡田阪神にリーグ優勝した前年のような独走ムードはなかったが、5月末の時点で首位中日と2・5ゲーム差の3位とまずまずのスタートを切った。ただ、前年22勝6敗とカモにした横浜(現DeNA)に6月まで2勝10敗と大苦戦。一進一退を続けるチームにあって、金本も本塁打こそ出るものの、4番として打率、得点圏打率で一時はリーグワーストになるなど苦しんだ。

ハッキリした不調の理由は分からなかった。トレーナー陣からの「打ち止め論」をよそに、金本は「(今年は)体のどこを取っても不思議と状態はいい。投げる、走る、振るとすべてが順調。自分でも怖いくらい。こういう年は初めて」と話していたほど。健康体でいるにもかかわらず、結果に反映されないことが悩みの種だった。親しい球団スタッフから「今年は体の状態が良すぎるから必要以上に力んでしまう。体のどこかが悪い方が結果が出るのではないか」と指摘され「そうかもしれん…」と認めたこともあった。

確かに金本は「鉄人」だが、それは故障知らずだったからではなく、常に体の不調や持病と闘いながら連続試合フルイニング出場を続けてきたから。4番を託され、不安のない健康体でいられるのは初体験。何とも皮肉な話だが、状態がいいからこそ大振りへとつながり、スランプに陥ったのかもしれない。

“悩める鉄人”の口からは、にわかに信じがたい弱気な言葉も漏れた。それは――。=続く=

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