コロナワクチン第1号生んだのはトルコ系ドイツ人 移民出自、差別是正に一役

By 佐々木田鶴

ビオンテック=ファイザー製のコロナワクチン© BioNTech SE 2020, all rights reserved

 欧米では、「バイオンテック=ファイザー」を皮切りに、モデルナや「オックスフォード=アストロゼネカ」などのコロナワクチンが次々と各国当局の認可を受け、大規模な接種作戦が猛スピードで進む。2020年12月初めに第1号となったワクチンは、日本では「ファイザー製」や「米ファイザーなど」と称されているが、その生みの親はドイツのバイオンテック社だ。ファイザー社と連携し、筆者の住むベルギーの工場などから大量製造されたワクチンが世界に出荷されている。バイオンテック社を創業し牽引(けんいん)するのは、ドイツ社会の根強い移民差別の標的とされてきたトルコ系ドイツ人の医学博士夫妻だ。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)

 ▽欧米で有名人に、でも日本では…

 メルケル首相はトルコ移民出自のドイツ市民が新型コロナウイルス・ワクチン第1号に貢献したことを誇らしげにたたえた。英国の経済紙フィナンシャル・タイムズは、1年未満という驚異のスピードで人類の夢をもたらした夫妻を20年の「ピープル・オブ・ザ・イヤー」に選んだ。

ドイツのメルケル首相

 欧米では一躍有名人となった夫妻。だが、日本ではあまり知られていない。「バイオンテック=ファイザー」という正式名称を使うことをバイオンテック社自身が望んでいるのに、なぜか「ファイザー製」とだけ伝えられていることに加え、ドイツにおけるトルコ移民の立場もほとんど理解されていないからかもしれない。

 ワクチン開発の見通しが語られるようになった20年春、バイオンテック社はワクチン開発先頭集団の一つに過ぎなかった。だが、12月初頭に英国での認可が降りるとあっという間に注目の的に。同社が第1号だったからばかりではない。創業者で経営責任者を務めるのがトルコ移民出自だったからだ。

 夫妻の名前は、ウグル・サヒン博士とエズレム・テュレチ博士。サヒン氏の父親は「ガストアルバイター」。つまり、ドイツ政府が戦後導入した出稼ぎ外国人労働者政策でドイツに渡り、自動車工場で働いていた。サヒン氏はその父を追って、4歳の時に母親とともにドイツに移り住んだ。

ウグル・サヒン博士(右)とエズレム・テュレチ博士の夫妻

 妻のテュレチ氏はドイツ生まれの移民2世。医師としてイスタンブールからドイツ北西部の小さな農村に移り住んだ父親の影響を受け「人の役に立つこと」を夢見て育った。村の小さなカトリック診療所の父に寄り添ううちに、修道女として人助けすることを夢見た少女は、しだいに医学を通じて「命を救うこと」を目指し、今もその使命がぶれることはない。

 2人は、ザーランド大学医療センター勤務中に出会い、2002年に結婚。最初に設立したがんの免疫治療薬開発会社ガニーメド製薬(Ganymed Pharmaceuticals)はトルコ語で「やっと与えられた賜物」との意味を込めたものだという。

 トルコ移民出自である2人が医学を学び、企業を立ち上げていくまでの苦労は想像に難くない。バイオンテックは、いまや世界60カ国から1300人以上を雇用する企業に成長。創業経営者として自社株を所有する2人は、ドイツで最も裕福な100人に含まれるまでになった。だが、命を救うことをモットーに質素な2人は、自家用車すら持たない。ジーンズ姿のサヒン氏は自転車で通勤し、テュレチ氏は、サンドイッチの昼食をデスクですます。

バイオンテック社© BioNTech SE 2020, all rights reserved

 ▽ドイツにトルコ系移民が多い理由

 ドイツには驚くほどトルコ系移民が多い。隣国とはいえ、ベルギーやフランスでは、植民地時代の経緯から、サハラ以北のアフリカ・アラブ諸国の移民が多いのとは大きく異なる。

 戦後復興の経済成長期に起きた労働力不足を賄うために、政府がトルコと協定を結び、70年代前半までに約90万人を労働者として招き入れたことが大きい。急場しのぎのはずの「労働力」は、生活者としてドイツ社会にとどまった。次第に、家族を呼び寄せ、子供たちが育ち、社会の一員となっていった。

 現在、ミックスルーツを含めたあらゆるトルコ系移民は約400万人とも言われる。イスラム系を代表する移民コミュニティーを形成している。

 ドイツでは彼らへの差別や偏見は根強い。10年ほど前、影響力のある政治家が、イスラム系移民はドイツ人に比べて明らかに知的に劣等で、このままいけば、ドイツの学力は低下し、ドイツ経済を衰退させると自らの著書に述べ、ベストセラーとなった。2015年の難民危機のころからは、極右政党「ドイツのための選択肢」が反移民感情をあおり立てて勢力を拡大し、イスラム系移民が貧困や犯罪と直結するとの主張を繰り返している。

 バイオンテック社と夫妻の快挙は、ドイツ社会にくすぶり続けてきたトルコ系移民に対する差別感情を是正し、移民層が社会の不可分な構成員として貢献していることを示す絶好の機会として歓迎された。だが、移民層のロールモデルやサクセスストーリーが強調されること自体が、移民層の置かれる境遇が差別や偏見に満ちていることを示すとの指摘も多い。

中東などからの移民であふれるベルリンの移民街=2018年9月(共同)

 ▽外国人労働者の子供たちが医師になれる社会

 日本でも、外国人労働者の歴史は長い。近年では労働力不足を受けて、技能実習、特定技能、留学生などの枠組みを利用して、日本で働く外国人労働者は急増し、コロナ前には200万人近いとされた。

 だが、彼らは日本で結婚して家庭を持っても自動的に在留資格は与えられないし、生まれた子供たちが日本国籍を得る可能性はない。OECD加盟国の中で教育への公的支出が低く家計負担がトップクラスに重い日本では、外国人労働者の子どもが、医学部で何年も学び、医師になることはきわめて難しいことだろう。

 ドイツをはじめ多くの欧州諸国では、労働者として受け入れられ、5年以上働いて納税すれば居住権が与えられ、そこで生まれた子供たちには国籍の道も開かれる。初等教育ばかりか、大学まで教育は無償だから、医学部に行こうが、文学部や経済学部に行こうが、入学金も授業料もかからない。少なくとも教育にかかる費用負担という意味では、移民層の子どもはドイツ人の子どもたちと同様なのだ。

 偏見や差別は厳然として存在する。その上、ドイツ社会は、今も、出自や家柄が暗黙に重視されるというから、どこか日本の社会にも通じる。だとしたら、やはり、移民出自の博士夫妻が、ドイツ社会に、そして世界の人類に貢献したストーリーは、もっともっと伝えられなければいけないだろう。

 出会って以来、夫妻の共通の情熱は、腫瘍学へ、がん治療のための免疫療法へと向けられた。2020年1月、武漢での新型コロナウイルス特定の発表を見た瞬間、サヒン氏は、同社が研究開発を進めて来たmRNAを用いたがんの免疫治療薬が、ウイルスのワクチンにつながるのではないかとひらめいたのだという。すぐさま、500人のえりすぐりの研究者をこの研究に投入。こうして、3月には、ファイザー社との提携が決まった。

 バイオンテック=ファイザーのワクチンは、保存・解凍・接種のインフラ作りが格別に難しい。 それでも、昨年末に、英国、米国、カナダ、イスラエル、欧州連合の医薬品当局に認可された。今では、中南米諸国、中東諸国、シンガポール、インドなどでも配送と接種が猛スピードで進められている。接種どころか認可もされていないのはG7では日本だけ。イスラエルではすでに国民の30%が接種を終え、多くの地域・人種から、さまざまな知見が集まっている。

記者会見するEUのフォンデアライエン欧州委員長=2020年12月21日、©European Union 2020

 バイオンテック=ファイザーのワクチンの第1号認可を告げた欧州連合のフォンデアライエン委員長は「心躍る連帯の証」と声を震わせた。多くの知人・友人を亡くし、長い封鎖生活で耐えている欧州や世界の人々に、移民出自の博士夫妻は、人類連帯の光をかざしてくれたようだ。

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