SKE48・松井珠理奈が語る13年間 「強がりな子供」からの脱皮、松井玲奈の卒業

卒業を前に胸中を激白した松井珠理奈

人気アイドルグループ・SKE48が、来月3日に松井珠理奈(23)の卒業シングル「恋落ちフラグ」(SKE48通算27枚目)を発売する。本紙は最後のセンターを務める松井に直撃インタビューを敢行。卒業を控えた今、メンバーへの思いや48グループの顔として、ときに批判とも闘ってきた約13年に及ぶアイドル人生を振り返った。

――「恋落ちフラグ」はグループ初のメンバー68人全員が参加した。松井さんの希望?

松井 そうですね。スタッフさんも「最後だし、みんなでやりたいよね」と話してくださって。私自身、卒業したメンバーを含めて家族みたいにうれしさや悲しさを共有できたから、ここまで来れた。感謝の気持ちを伝える意味でみんなと歌えたらと思いました。

――ミュージックビデオ(MV)の撮影はどうだったか

松井 揃ったダンスはすごく迫力があって。最初は揃うのかな?と不安もあったんです。10期生の子は撮影自体が初めてなので。でも、最後まで残って一生懸命振り付けを覚えてくれた。先輩たちに負けないように頑張る姿を見たら、私も初心に帰ったというか。(史上最年少の)11歳でAKB48のシングル「大声ダイヤモンド」の選抜に入って。当時はやっぱり全然未熟だったので、みんな終わってからも1人で練習してたな、とか。

――自身の卒業ソロ曲「Memories~いつの日か会えるまで~」も収録されている

松井 演出で昔のMV映像も流していて振り返れる内容です。やっぱり「大声ダイヤモンド」のMVシーンが思い出深いです。小学6年生で(名古屋から)1人で東京に行って撮影したな~って。1人だけの撮影だったこともあって「1人になったらこうなるんだ」と寂しかったですね。

――27枚のシングルで、単独を含めて21回センターを務めてきた。どんな気持ちで立ってきた

松井 最初からしばらくは「SKE48をどうにか広めていかなきゃ」と張りつめて、闘いに挑む気持ちが大きかった。でも、MVを見てもあるときから、すごく表情が優しくなったなって。一番は(何度もダブルセンターを務めた)松井玲奈ちゃんの卒業(15年8月)。いろんなメンバーが支えてくれるようになって、少しずつ自分が背負うんじゃなく、任せつつ、みんなで作り上げる意識に変わっていった。ちょっと肩の荷が下りたのはあるかもしれないですね。

――自身が歌詞とプロデュースを手掛けたユニット曲も収録。注目されたからこそ、厳しい声にもさらされた松井さんのアイドル活動を感じさせる歌詞だ

松井 私は入ってすぐセンターになって。うれしいことですけど、やっぱりプレッシャーを感じたり、批判というか悲しい声を聞くことも多かった。でも、それをはねのけてやってきたし、応援してくれる人たちもいました。信じて進んできたし、批判があったからこそ「なにくそ」「いつか見返してやるぞ」という気持ちでやってきました。実際に悲しくなっちゃう子もいるし、普段の生活でもあると思う。ユニット曲は、メンバーへのメッセージではあるけど、今の時代を生きている人たちにも伝わったらいいなと思いました。

――総選挙で1位になった後、体調不良による休養などもあった。昔から松井さんは傷つきながらも進んでいった、48グループらしいアイドルだったと思うが

松井 う~ん…強がりな子供だったなと(苦笑い)。本当に周りに支えられました。それに自分のためにというよりも「SKE48のため」と思ってやってきたから、乗り越えられたのもある。自分のためだけなら、妥協したり諦めたりすることもあったと思うけど、周りにこんなにたくさんのメンバーがいて、ファンの方を背負ってやっているんだという気持ちや、ちょっとぐらいでくじけちゃダメみたいな気持ちはあったので。

――今後は

松井 ソロになったら歌う曲も自由にできると思うので、自分の出せるものを存分に出していきたい。攻めていきたいですね! でも、残りのアイドル活動では、かわいく楽しんでる普通の女の子の姿を見せていきたいのはあります。今までビシバシやってきたみたいなイメージが強いと思うので(苦笑い)。自分のプロデュースを楽しみながら素を見せていきたいです。

☆まつい じゅりな 1997年3月8日生まれ、愛知県出身。2008年にSKE48の第1期生として11歳で加入。当初から「大型新人」として期待され、同年にAKB48の10thシングル「大声ダイヤモンド」で初センターに抜てき。翌09年、SKE48のデビューシングル「強き者よ」で初センターを務めると、15作連続でセンターを務めた。18年の「AKB48世界選抜総選挙」で19万票を獲得し、初の女王に。ソロとしても女優、歌手など幅広く活動中。昨年2月にグループからの卒業を発表。同9月に卒業コンサートを行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大で延期になった(代替時期は未定)。

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