中2自殺いじめメモ、教員「シュレッダーに」 4年たって両親が提訴した理由

 「学校や教育委員会によって私たちは2度3度殺された」。両親は重い口を開くと、そうつぶやいた。兵庫県加古川市立中2年の女子生徒がいじめを苦に自殺したのは2016年。昨年9月になって、両親は市に損害賠償を求める訴訟を起こすに至った。4年の間に何があったのか。(共同通信=木村直登、山田純平)

インタビューに応じる女子生徒の父親=2020年12月

 ▽「紛失した」

 生徒が亡くなったのは16年9月。死後、市教委は調査のため弁護士らでつくる第三者委員会を設置した。その報告書や関係者によると、生徒は中1だった15年夏ごろから部活動でほか2人の部員と共に「うざい」と悪口を言われたり、大会遠征時に応援席に座らせてもらえなかったりするなど仲間外れにされた。

 「部活をやめたい」「もう我慢できない」。15年11月には、泣きながら公衆電話で母親に訴えた。父親から相談を受けた部活顧問の男性教員は同月、1年の女子部員を集めてメモ用紙を配布。いじめの内容を書くように指示した。確認した顧問は「お互いさまだろ」と発言。部員同士のトラブルと判断した。部員同士の話し合いの場を設け、「悪口を言わない」などのルールができたが、効果はなく、いじめは継続。メモの内容は担任など他の教員には共有されなかった。後に顧問は第三者委の聞き取りに「メモは紛失した」と回答。第三者委は17年12月に報告書をまとめた。

 ▽「人目に触れてはいけないと…」

 ところが、その約半年後の18年6月。両親らと面談した部活の副顧問は衝撃の事実を明らかにする。「(メモは)当時の状況を知る重要な資料。今どこにありますか?」と尋ねる遺族側。面談のやりとりを記録した音声データには、副顧問のか細い声が残っていた。「僕がシュレッダーにかけてしまった。人目に触れてはいけないと思い顧問と相談した」

 「どんな思いで書いたと思っているの!」。予想していなかった回答に母親は感情があふれ、思わず声を荒らげた。副顧問は記憶をたどるように、舌打ちや悪口を言うなどのいじめを受けたり見聞きしたりしたといったことが書かれていたと説明。「今思えばいじめだが、当時はいじめと捉えていなかった」と話した。

 「破棄のことは1カ月前に校長(17年度に赴任)に話した」と言う副顧問。面談に同席していた校長は、顧問にも破棄のことを確認したと認めた。面談を振り返り、父親は「どうしてすぐに知らせてもらえなかったのか。こちらが聞くまで隠し通すつもりだったのか」と憤る。

 20年12月、共同通信の取材に対し、校長はメモの破棄について「肯定も否定もしない。組織で動いているので個人で答えられることはない」と回答、顧問も「かなり前のことで答えられない」と話した。

 ▽処分、軽くなった可能性

 18年6月の遺族と副顧問の面談には加古川市教委の職員も同席しており、メモが破棄されていたことを遅くともこの段階で市教委も把握した。しかし、市教委は教職員の処分権限を持つ兵庫県教委に破棄のことを報告しなかった。県教委は破棄の事実を知らないまま、「紛失した」と認定した第三者委の報告書に基づいて18年11月、「いじめに適切に対応しなかった」として16年当時の校長を戒告の懲戒処分、顧問は懲戒に当たらない厳重注意とした。副顧問は処分していない。結果的に処分が軽くなった可能性がある。

女子生徒の両親が加古川市を訴えた裁判資料の一部

 遺族側は「メモの破棄は真相究明を阻害し、隠蔽(いんぺい)と評価される行為で重大な非違行為だ」として県教委に今年1月、再調査を要請した。県教委は取材に「メモの破棄についてはこれまで報告はない。処分は市教委の報告に基づくため、改めて報告があれば処分を検討することになる」と回答。一方、市教委は「報告の具体的内容は、遺族との訴訟に関わるため答えかねる」としつつ、「事実関係の調査で至った認識に基づいて報告した」として、報告し直す考えはないとの姿勢だ。

 ▽「破棄」の文言は削除を

 「学校で何があったのか知りたい」。両親は娘を亡くしてから、教員や同級生への聞き取りを重ねる日々を送ってきた。「心にむち打って向き合った。でも、訴訟になればその何十倍も負担がある」。訴訟は避けたかった。市に和解に向けた交渉を持ち掛け、19年8月、市教委が非を認めて謝罪する内容の合意文書案を提示した。

 だが、翌月に市教委が返してきた「合意文書案に対する考え方」と題した文書は、両親を絶望させた。「いじめを示すメモを当時の顧問らがシュレッダーで破棄した」との文言について、市教委は合意文書から「削除願います」と要求。「保管しなければならないという認識がなく、破棄はやむを得ない」との注釈を付けていた。

加古川市教育委員会が遺族側に文言の削除を求めた文書の一部

 女子生徒は1年の3学期ごろから担任に提出するノートに「しんどい」「だるい」との記述を繰り返し、学校のアンケートでもいじめをうかがわせる回答をしていた。遺族側はこれを踏まえ、合意文書案で「さまざまないじめの端緒に注意を払わなかった」「部活動でのいじめを部員同士のトラブルと処理して見逃した」などと盛り込んだが、市教委はこれらの文言についても「いじめを認識すべき兆候はなかった」と削除を求めた。再発防止を望む遺族がいじめの認知件数などの情報提供を求めたことに対しては、市が18年度から取り組むいじめ対策の5カ年計画が終わるまでと期限を設定した。

 父親は「市教委や学校が落ち度を認めず、娘の死を置き去りにしようとする姿勢が表れている」と拳を握りしめる。その後も協議を求めたが、交渉は平行線をたどり、決裂した。

 だが、「いじめを認識すべき兆候はなかった」という市教委の主張は本当なのか。大半が非公表とされた第三者委の報告書では、いじめの詳細が明らかでないため検証できないが、共同通信は報告書の全文を入手した。

(続く)


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