松永浩美氏が明かす“舌禍騒動”「甲子園は幼稚園の砂場」の真相

【写真左】開幕3戦目で左足を負傷【写真右】松葉づえをつき病院を後にする松永

【球界平成裏面史特別編 松永氏を直撃(2)】平成4年(1992年)オフ、野田浩司とのトレードで阪神に移籍した“史上最高のスイッチヒッター”松永浩美は、新天地で開幕から6打席連続安打と最高のスタートを切った。しかし、開幕3試合目で足を負傷して離脱。フィーバーから一転、風当たりが一気に強まっていく。そんな中で取りざたされたのが「甲子園は幼稚園の砂場」発言だ。阪神を1年で去るきっかけとされ、今なお語られる“舌禍騒動”の真相は――。

――阪神の環境は

松永氏 あまり周囲のことは気にならなかったですよ。西宮球場でも甲子園でも一緒。試合に入っていくと歓声も聞こえない。マスコミの扱いが「阪急では記事にならないのに、阪神だとこんなことでも載るんだな」とは思いましたよ。負けているのになんで俺が1面なの?とか。扱いが大きい分だけデメリットも大きいと思っていました。差し引きチャラくらいで、浮ついてもないし、やることをやり続けようと思った。

――平成5年は開幕戦で5打数5安打と最高のスタートを切った

松永氏 開幕って過去にも調子いいので、何で騒いでるのっていうくらいですよ。ただ打順が1番とか3番とか、役割が違ったので戸惑いはありました。中村(勝広)監督ともほとんど話さなかったですね。

――それが3戦目でホームへのスライディングで左足を負傷

松永氏 ケガしたこともその一部ではあるんですけど…それまでに甲子園のグラウンドの土が柔らかいと感じていて、久慈(照嘉)とも話していたんです。走塁の時に1歩目のダッシュが利かない。「お前、生え抜きなんだから言えよ」「松永さん言ってよ」ってなって、僕が言うことになって「もっと硬くしてください」とグラウンドキーパーに言ったんですよ。

――それが「甲子園は幼稚園の砂場発言」になる

松永氏 練習の時に目の前にいたんで、グラウンドキーパーに「すいませーん、もう少し硬くできませんか」と言うと「いや、柔らかくしてほしいと言われているんで」と返すんです。「いや、今は硬くしてって言ってるんです。できないんですか?」「○○選手に言われていますので…」「その人は試合に出ていない人でしょ。どうして出ている人より出てない人の言うことを聞くんですか」って。

――押し問答になった

松永氏 そうしたらキーパーもカッカして「じゃあ、砂場くらい柔らかいってことですか?」と言うんで「そうじゃなくて我々の意見を聞いてくれないんですか?」と言ったんです。私の着地点はそこですよ。その選手は疲労すると筋肉が硬くなるタイプらしくて、グラウンドは柔らかい方がいいと言っていたみたいです。それは久慈も知っていましたから言いにくかったんじゃないですかね。選手の具体名? それは勘弁してください。それで、こりゃダメだ、と思って私は引いた。

――では「砂場」とは口にしていない

松永氏 グラウンドキーパーが言ったことを周りにいた記者が拾ったんでしょう。私が言ったんじゃありません。あんなの「硬くしてくれませんか」「わかりました。考えときます」でチャンチャンで終わる話ですよ。

――発言だけが独り歩きした

松永氏 なんでそうなるんですかねえ。まあ、いいんじゃないですか。30年近くたっても言われるんだから(笑い)。そのことが阪神を出た原因とか、そんなの関係ない。話してもないことを書かれていましたからね。週刊誌なんかテープに録音してるのに、全く違うことを書かれたり…。ずっと人間不信になっていましたよ。オフのFA交渉だってグラウンドの話なんて一切していませんよ。だから今、自分がやっているユーチューブでは絶対に推測では話さないようにしていますもん。 =続く=

☆まつなが・ひろみ 1960年9月27日生まれ。福岡県北九州市出身。78年に小倉工からドラフト外扱いで阪急に入団。練習生として用具係を務め、79年に支配下登録された。81年に一軍デビューし、スイッチヒッターとして活躍。92年オフに野田との交換トレードで阪神へ。93年オフにはダイエー(現ソフトバンク)にFA移籍。97年に退団し、メジャーを目指すもかなわず引退した。盗塁王(85年)のほか、2度のサイクル安打、3試合連続先頭打者本塁打、5度のベストナイン、4度のゴールデン・グラブ賞に輝く。現在は鹿児島県を拠点に少年野球を指導。ユーチューブ「松永浩美チャンネル」「パパ永チャンネル」を開設している。

© 株式会社東京スポーツ新聞社