巨人の“坂本勇人”問題 元ハム・田中幸雄氏も経験し戸惑った同一球団の同姓同名

巨人・坂本勇人【写真:Getty Images】

スコアボードに並んで表記された「田中幸雄」、ファンレターはどうしてた?

昨年のドラフト会議で巨人は育成6位で唐津商の捕手・坂本勇人を指名した。同一球団で同姓同名選手が誕生したその時、日本ハムで活躍した2人の「田中幸雄」を思い出したファンも多かったはず。Full-Countでは“コユキ”こと2000安打を達成したミスター・ファイターズの田中幸雄氏にインタビュー。名前に関するエピソード、そして後から入団した側としてのエールを育成・坂本に送ってもらった。

いつか2人の坂本勇人が同じ試合でプレーすることになるかもしれない。実現すれば1986年から89年まで、日本ハムで同じ登録名でプレーした「田中幸雄」以来、2ケース目となる。チーム内では1981年ドラフト1位で入団し、190センチを超える投手だった田中氏が「オオユキ」。打者の田中氏は「コユキ」と呼ばれていた。

――“オオユキ”さんの印象、思い出などありますか?

「一緒にプレーをさせていただいた時間は長くありませんしたが、すごく優しくしていただいた思い出はあります。僕は当時、若くて、守備でミスばかりしていたのですが、優しい言葉をいつもかけていただいていました。気持ちの部分で楽にしてもらいました」

――どのように呼ばれていたんですか?

「私は『幸雄さん』と呼んでいました。他の選手も『幸雄さん』と呼んでいたと思います。僕の方は『コユキ』というような感じでしたね。『幸雄さん』『コユキ』で分かれていました」

――田中投手が好投して、田中内野手が勝利に貢献する一打を放った試合もありました。

「僕が3年目か、4年目くらいの時ですかね…でもその頃、自分は周りが見えてない状態ですから、自分がミスした方が記憶が残っているので、活躍した記憶はあんまりないですね。でも打順で自分が8番、幸雄さんが9番でくっついてる時があったのは嬉しかったです。『田中幸』と『田中雄』でスコアボードは分けて表記されていました」

日本ハムで活躍した田中幸雄氏【写真:荒川祐史】

ルーキーの坂本勇人へ「プロの世界に入り、まず自分がやるべきことは何かを見つけて欲しい」

――戸惑ったことはありましたか?

「球団に届くファンレターや郵便物とかですかね。よく幸雄さん宛のものが間違えて自分のところに来ることが、よくありましたね。封を開けて、投手についてのことを書かれていたら、これは僕のではなく、幸雄さんのだな、と。打撃のことが書いてあったら僕のだなと判断していました」

――球団の方はどのように判断をして分けていたのでしょうか?

「背番号が書いてあったり、『コユキ宛て』と書いてあったりしたものもあったので、ファンの方も区別して送ってくれていました。『田中幸雄』だけだったら、どっちかわからないじゃないですか。贈り物とかも球団の人が見分けるのは、大変だったと思います。僕も封筒を開けた瞬間に『あっ、違う』となったこともありました。さすがに手紙を全部読むのは失礼なので、すぐに幸雄さんや球団の方へ届けに行きましたね」

――今回、巨人に2人目の坂本勇人選手が誕生しました。育成の坂本へ、後から入団した側の立ち位置として、エールをお願いできますか?

「すごい先輩がいる。ですが当時、入団したばかりの自分は、まずはやるべきことをやらないと何も始まらない、1軍に行かないことには何も始まらないと思っていました。新しく入った坂本選手も、プロの世界に入り、まず自分がやるべきことは何かを見つけて欲しいです。自分は名前を意識する余裕はなかったです」

――同じ試合に出場したら、2人の「田中幸雄」さん以来になります。

「1軍の試合に出る方法を早く見つけ、坂本勇人大先輩と同じフィールドに立って欲しいですね。話題性もあるでしょうから、プロとして頑張ってほしいです。有名になるということは本人のためにもなります。いろいろなことを言われたりするでしょうけど、気にせずに、やるべきことを頑張って欲しいなと思います」(Full-Count編集部)

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