精子提供で生まれるとは 法成立も置き去りの当事者

 昨年の臨時国会で重要な法案が異例のスピードで成立した。精子提供など、夫婦以外の第三者が絡む生殖補助医療で生まれた子どもの親子関係を明確にするための民法の特例法だ。生まれた子は一体誰の子どもになるのか、これまで法的な位置付けが不安定だった点は解消された。一方で、子どもが遺伝上の親の情報にアクセスする「出自を知る権利」は保障されず置き去りに。実際に精子提供で生まれた当事者らは、医療技術の先行や子を持ちたい親の権利が優先されることに懸念を抱く。(共同通信=土井裕美子)

生殖補助医療の提供等に関する民法の特例法案について記者会見する非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループの藤田あやさん(手前)=2020年11月24日、厚労省

 ▽死ぬ間際にまだ…

 「自分の存在を悩み続ける私は、死ぬ間際にまだ、『生まれなければ良かった』と思っているかもしれない」。2012年11月、長崎市で開かれた日本生殖医学会のシンポジウム。ある女性が壇上で語った一言が、いまだに忘れられない。女性は実の母親と、父親ではない第三者の精子提供で生まれた藤田あやさん(仮名、当時40代)。専門医や看護師らを前に語った彼女の話を紹介する。

 32歳の時、両親の離婚がきっかけで自分が非配偶者間人工授精(AID)で生まれたと知った。「医大生の精子をもらってあなたを産んだ」「どうしても子どもがほしかった」。今まで父親と信じていた人とは血のつながりがなかった。では遺伝上の“父親”は誰なんだろう―。知りたいことはたくさんあったが、泣きながら話す母の姿に、それ以上詳細をただすことも、責めることもできず、気持ちを押し殺した。

 心身に変化が起きたのはそれから3年後。母の死がきっかけだった。よく眠れず、緊張が取れない。不安でいっぱいで、何を聞いても涙が出る状態に。私の32年間はうその上に成り立っていた。自分自身が崩壊したようで、立て直さなければと思っても心の整理ができなくなった。新聞記事をきっかけに同じ苦悩を抱える当事者と出会い、年月を重ねることで心の中に問題を置いておく場所のようなものができた。深く悲しみ、怒り、ようやく今がある。雲の上に、おひさまが出ていたのねと、ようやく感じられるようになった。

 そして彼女は、最後にこう付け加えた。

 「人生は長く過酷なもの。自分が生まれてきたことを丸ごと肯定できなければ、強く生き抜くことはできない」

 絞り出すように語った重い言葉。その場にいた生殖医療に携わる医師や看護師にとっても、生まれた子どもが抱く苦しみを直接聞く、初めての場だったろう。

生殖補助医療法案が可決した衆院法務委=2020年12月2日

 ▽明治時代の規定

 特例法のポイントは①卵子提供では産んだ女性が母親②精子提供では提供者ではなく夫を父とする―の2点だ。日本では1949年、夫以外の第三者の精子提供による子どもが慶応大病院で初めて誕生し、既に1万5千人以上が生まれたとされる。近年では海外渡航して卵子提供を受けて出産する人も水面下で広がりつつある。にもかかわらず、民法の親子関係の規定は明治時代のままで、第三者が関わる不妊治療や出産を想定していない。精子提供で子どもが生まれた後、夫が自分の子であることを否認するケースなど、子どもの法的な位置付けが不安定なままでは訴訟やトラブルが起きかねない―それが法案を提出した議員らの主張だ。一方で、藤田さんらが求めていた「出自を知る権利」については、2年を目途に検討する、との記載にとどまった。「出自を知る権利を認めると明記すると提供者が減ってしまう」(自民党議員)との懸念が生殖医療の専門医などに根強いためだ。

 ▽淡い期待

第三者の精子提供による人工授精で生まれ、遺伝上の父を捜し続ける医師加藤英明さん=2020年11月

 「親子の位置づけが明確になったことには賛成。でも出自を知る権利が盛り込まれなかったことで、子どもに真実を伝えなくても生殖補助医療を行っていいとのお墨付きを与えてしまうとの懸念を感じる」。こう話すのはAIDで生まれた横浜市の医師、加藤英明さん(47)だ。医大生だった29歳の時、血液検査の実習で父親と血のつながりがないと知った。長年、実名も顔も公表し、メディアの取材にも積極的に応じている。それは当事者の思いを少しでも知ってほしいとの願いと、どこかで遺伝上の父やきょうだいにつながるきっかけがあるのではないか、との淡い期待があるからだ。

 精子提供で産んだ事実を子どもに隠す親が多く、加藤さんのように何かのきっかけで真実を知り、当事者の思いを発信する人たちはごくわずかだ。「1000人ぐらいの子どもたちが訴えれば、産婦人科医たちも大きな問題だと受け止めるかもしれない。でもしょせん、数が少ないと思われ、軽んじられている」と加藤さん。こうした手段を選ぶ親たちにはこう呼び掛ける。「特別養子縁組などと同じで、血がつながらない子どもを育てるってとても大変なことだと思う。だからこそ、もっとプライドを持って子どもにも胸を張って真実を伝えてほしい」

 ▽変わらぬ思い

 8年前、医師たちの前で語った藤田あやさんはどうしているだろうか。再び会いに行った。今は50代。当時、壇上で訴えた思いに変化はないか尋ねると、柔らかい表情ながらも、こう答えた。

 「なんで生まれてきたんだろう。生まれて来なければよかったとの思いが今でもサイクルのようにやってきます。死にたい、じゃなくて、消したいと。生きる上での苦しみを凌駕(りょうが)するほどの『生まれてきて良かった』という気持ちが私にはありません。今の自分を一生懸命生きようと思うが、死ぬ間際に『生まれてこなければ良かった』と思うのではないか、その気持ちは今も変わりません」

特例法案について記者会見する藤田あやさん(手前)=2020年11月24日、厚労省

 「出自を知る権利」については、代理出産の規制の在り方などとともに、超党派の議員連盟で2年をかけて議論される予定だ。

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