逆転人生!「花のパワー」を信じて。そこに感動も生まれる

知人の「花屋は儲かる」の話で、生花の世界に

前回は、「フラワーシティ福岡」を目指して広く浅く語りました。
今回から深く掘り下げていこうと考えましたが、その前に僕のことをまだ知らない方も沢山おいでになるでしょうから、現在の庭園デザイナーになるまでの半生と思い出話とともに、花の力というものを伝えたいと思います。

僕は長崎市出身です。もともと花や庭に興味があったわけでもなく、学生時代の夢はモトクロスのプロレーサーで、学校も福岡県久留米市内にある工業系に進みました。しかし眼が悪くなりプロレーサーの夢は絶たれ、学生時代に取った自動車整備士の資格を生かして、カーディーラーに就職しました。

英国チェルシーフラワーショー作品(2016年)

ここまでは花と緑に何ら縁もなかったのですが、知人から「花屋は儲かる」との話を聞き、花の世界を覗いてみようと、池坊(注1)の教室で習い始めました。生花が僕の人生を大きく変えたのです。

(注1)日本の華道家元。いけばなの根源で、全国各地でいけばな教室を開設する。会員数は最大を誇っている。

教室に2回、3回と通ううちに、どんどんのめり込みました。もともと単純な僕です。この瞬間に、「花で生きるんだ!」と決めたのでした。

若き日の石原さん

勢いのままに日本中に約80店舗の花屋を展開!

花屋としてのスタートは、路上販売でした。道端に座り、通りの奥さま方へ声をかけて生花を売りました。当時を振り返れば、「何事も無駄なことはない」と思います。この路上販売の日々で、人を見る洞察力や、気持ちのつかみ方、のせ方など、営業トークと販売方法を実践で学ぶことができました。

ただ路上販売では花を美しく見せたり飾ったり、花束を作るなど、花を活かす技術を得ることができません。更なる高みを目指し、僕は路上販売に別れを告げ、花屋や葬儀場などでバイトして腕を磨きました。

その後 飲み屋街や商店街、ホテルの軒先、自動販売機の設置場所などを安く借り、独自の“軒先商法”で花屋を展開。路上販売で培った販売力とトーク力、持ち前の行動力で成果を上げました。これを機に念願の店舗を持つことができ、長崎市内に「風花(カザハナ)」をオープンさせました。

5坪の小さな店でしたが、24時間営業で頑張った結果、花屋として面積あたりの売上は、日本一を記録しました。この頃の僕は久留米の市場で大量の花を仕入れ、同業者からは「花を食べているんじゃないか!?」と言われていました。この結果は僕とスタッフの販売努力もあったかもしれませんが、花にはそこまでの需要があるのだと感じる瞬間でした。

調子に乗りやすい僕は、商社との合弁会社を設立。海外にバラ農園を開くなど業務を拡大しましたが、見事に失敗し、多額の借金を背負うことになりました。

今思えば天狗になっていました。年収200万円程度の男が独立数年で億単位の売上を作れるようになったのですから…勘違いしたのだと思います。

その時はきっと、花の魅力やお客さんの気持ちなど考えず、ただただ商売として花を売ることしか考えていませんでした。

花屋時代の石原さん

「お客さんの心をつかむ」の原点に戻り、庭づくり一本で再スタート

多額の借金を抱えた僕の窮地を救ってくれたのは、庭でした。花の販売の傍らでお客さんに頼まれて庭づくりを始めていたのです。路上販売の頃のように、お客さんの心をつかんで花を売っていた気持ちに戻り、庭づくり一本での商売をスタートさせました。

花屋でブーケやアレンジを作るような僕の植栽は、普通の植木屋さんが造る庭とは明らかに異なりました。彩りがあり、立体的な仕上がりになっていて、お客さんに喜んでいただきました。

一般的に植木屋さんは樹木を植え、花屋さんは花を植えます。僕の場合は花屋上がりの植木屋だったので、花も植木もどちらもできるハイブリットの植木屋となり、新たに石原テイストのデザインを確立することができました。長崎の地で僕は名のあるガーデナーとなりました。ただ狭い長崎では頭打ちになっていたのも確かで、一度は花屋で日本一になった僕は、「次は世界一だ!」と思いました。やっぱり単純でお調子者ですよね(笑)

英国チェルシーフラワーショー作品(2015年)

「英国チェルシーフラワーショー」で、念願の金メダルを受賞

いろいろと世界のガーデンを調べた結果、現在の僕にたどり着く「英国チェルシーフラワーショー」の存在を知ったのです。すぐにイギリスに飛び、チェルシーフラワーショーを肌で感じてきました。

まさに「井の中の蛙大海を知らず」という言葉が、僕にはピッタリ。長崎でちょっと有名なガーデナー気取りをしていた自分に赤面しました。その反面、体の中から燃え上がるものを感じ、いつの間にか借金返済という目標が、「絶対にチェルシーフラワーショーで金メダルを取って世界一になる」ということが目標となりました。

エリザベス女王と懇談

この後 出展を叶え、苔を使った庭が注目され、2006年に念願の金メダルを受賞することができました。そして、これまで14回の出展の内、11個の金メダルを受賞することができました。

キャサリン妃とともに

「花にはパワーがあります!」。ひとつの花束で感動が生まれる

今でこそ世界的な庭園デザイナーと言われたりしますが、路上販売や軒先販売をして苦しかった時代を忘れないようにしています。花屋を開いたばかりの時のエピソードで、若いお客さんのことを鮮明に覚えています。「今日が誕生日の福岡にいる彼女に、プレゼントの花をどうしても贈りたい」という依頼でした。

長崎から福岡まで約160㎞、注文の3,000円の花。仕事として考えたら明らかに合いません。でも店を閉め僕は車を走らせました。まだ高速道路も通ってなく、一般道をひとつの花束を届けるために、4時間ひたすら走らせました。

福岡に着いたのはかなり遅い時間でしたが、無事に届けることができました。その瞬間、彼女は涙を流して喜んでくれました。「ひとつの花束でこれだけの感動が生まれるんだ」と実感しました。

花にはパワーがあります!「誰かのために」という訳でもないですが、ひとつの花や一本の木にありったけの思いをぶつけて、植え続けていきましょう! きっとどこかで、誰かが喜んでくれています。そう私は信じているのです。

ところで、福岡市との縁ですが、英国のチェルシーフラワーショーのほかに、シンガポール政府主催で、世界中の著名な園芸家やフラワーデザイナーを招待して作品を展示する「シンガポール・ガーデン・フェスティバル」があり、この大会への出展が福岡市と僕をつなげる大きなきっかけとなりました。

同大会へ2008年に出場した僕は最優秀賞を獲得しました。そこでGIC(シンガポール政府投資公社)の方と縁をいただき、ヒルトン福岡シーホークのガーデンチャペルやヤフオクドーム(現:PayPayドーム)の植栽に携わらせていただくようになりました。

以前は全国にある現場のひとつにしか考えてなかったかもしれませんが、今は「一人一花運動」のアンバサダーへ就任させていただき、象徴的な場所でも仕事をさせていただくなど、僕の中で特別な場所となった福岡市を”花緑”で、更に魅力的な都市に変えていきたいと日々考えています。

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