数々のキャラクターゲームを手掛ける、ガンバリオン山倉社長に聞く!ぶれない夢を口にすることがチャンスを掴むきっかけとなり、道しるべとなる。

きっかけはゲームショップでのアルバイト。数々のゲームを猛打しゲーマーへ。

ーー1999年に設立されたガンバリオンは、代表の山倉さんが営業職だった前職の仲間と共に立ち上げたゲーム開発会社です。そんな山倉さんがゲーム業界と出会ったきっかけはたまたまアルバイトで入ったゲームショップから。ゲーム会社立ち上げに至るまでにどんなことがあったのでしょうか?

株式会社ガンバリオン 山倉千賀子社長

山倉
ゲームショップに入るまではあまりゲームには興味はなくて、はじめは “売れるものと売れないもの”という仕事上の着眼点から遊び始めたのがきっかけですね。それから“売れるゲームソフト”というものがわかるようになって、発注をまかされるようになったんです。

今でこそベータ版や体験版などを発売前に遊ぶことができたりしますが、25年ぐらい前の話なので(笑)、発売するまではほぼ遊べないし、バイヤーだけが展示会に行って、少しだけ体験できるぐらいでした。

ネットもない時代だったので情報源は主に雑誌の情報でした。メーカーと雑誌掲載されている数枚の画面写真、そして記事の内容をよく吟味して1ヶ月に何十本と出るゲームソフトから売れそうなソフトを選び、毎月発注していました。

最初は店のゲーム機を借りたりしていたんですが、徐々に自分で所有するようになり、スーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン。しばらくしてプレイステーションやセガサターンなど、どんどんゲーマーになっていきました(笑)。

RPGもアクションも、戦略シミュレーションもガチ目のシューティングもとにかく嫌いなジャンルがないですね。そこから立派なゲーマーになったのですが、そうやってゲームを楽しんでいるうちに、作り手側になりたいと思うようになりました。

“売る側からつくる側へ”会社設立から2年で出会った『ONE PIECE』

ーーアルバイトから1年で社員に昇格、その後本部付けのゲームソフトのバイヤーに抜擢された山倉さんでしたが、売る側からつくる側に回ってみたいと、その後長崎のゲーム制作会社に営業職として入社します。しかし会社がゲーム制作から撤退することになったことをきっかけに起業。会社設立2年目から、代表作となる『ONE PIECE グランドバトル!』シリーズを手掛けることになります。

ガンバリオンの代表作『ONE PIECE グランドバトル!』シリーズ
©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

山倉
会社をつくろうと思ったのが先で、その後創業メンバーのひとりに“ゲームを1本つくれる人数で選定して欲しい”と相談しました。そして営業職の私とクリエイターやプログラマー9人で一緒に立ち上げた会社がガンバリオンです。

ガンバリオンの代表作である『ONE PIECE グランドバトル!』シリーズですが、つながったきっかけはとにかく「ONE PIECEが好き!」ということを公言していたからです。前職や起業してからの営業先の会社で「今ジャンプでやっているONE PIECE、面白いですよ!」と言っていたらONE PIECEのプロデューサーさんにそれが伝わってゲーム開発を依頼されることになったんです。

好きな作品は常に公言するようにしていますね。当時ONE PIECEは始まったばかりで、連載から1年経っていないぐらいでしたが1話を読んだ瞬間に面白い!と思って周りに勧めていました(笑)。そうやって口に出すことが多いので、皆さんから仕事のお声掛けをいただくことが多いですね。

手応えを感じたのは、起業から5年後の『ONE PIECE グランドバトル!』以外にもう1本作ったぐらい。やっと“ああ、このまま社会に存続できる会社になれる”と実感しましたね。

設立2年で福岡へ本社移転を決めた理由は“採用の為”

ーー福岡に本社をかまえるガンバリオンですが、設立は長崎県佐世保市で、設立から2年で福岡市内に移転しています。福岡移転を決めた理由は?

山倉
福岡移転を決めた理由は“採用”です。若くてエンターテイメントの能力を持ってきてくれる人を探そうと思ったら、やはり福岡に出ないといけないと思ったんです。設立してまだゲームは1本も完成していないのに、設立2年目で新卒を採用しようとしていました(笑)。将来的なことを考えると、会社を大きくしたいとはじめから考えていたので、最初から人を増やすことを考えていました。

携帯電話もガラパゴス携帯から進化し、画面の処理も変わりデータ量も大きくなっていた時代です。ゲーム機に関してはある程度予想していました。ファミコン、スーパーファミコンの処理の違い、プレイステーションが出て3Dで描かれるようになり、ハードのスペックがどんどん進化していた時代でしたので、技術的な進化に合わせようとすると必ず人が必要になってくると思っていました。

それからずっと福岡に本社を構えているのは、エンターテイメントに携わる人との出会いがあるからです。佐世保から福岡に移ってやはり若者が応募してくる実感がありましたし。福岡は住んでいて非常に住心地のよい場所であること、通勤が便利で海も山も近いし、仕事面では空港までの利便性など出張にも適していることも大きいですね。

また、2004年、九州・福岡のゲーム制作会社の方々と「GFF(=GAME FACTORY'S FRIENDSHIP)」を設立し、ゲーム産業の発展を目指すための活動に関わっています。

約20年前はゲーム業界なんて親が子どもの就職先として反対するところでした。そんなゲーム業界を行政の方にご理解いただいた上で、健全なイメージを与えられている活動はとても意義があると思っています。

ネット上のコミュニケーションをいち早くはじめていたゲームの世界

ーー家庭用ゲーム機の進化と共に、グラフィックなどの映像やオンラインやゲーム実況などゲーム業界の進化もすさまじいものがあります。山倉社長が感じているゲーム業界の進化とは?

山倉
一番面白い進化を遂げたなぁと思ったのはeスポーツですね。囲碁や将棋といったいわゆるアナログなゲームと同じような文化として位置するかもしれない、と思っていたのですが、ゲームがスポーツの範疇になるとは想像していなかったので最初は驚きました。

ですが、eスポーツでは、ソロプレイではなくチームで戦う時、動体視力、反射神経、チームプレイ、個人の技量とチームの作戦というふたつの側面があって、そのグループの選手に関わる監督、スポンサーなどを考えると今行われている興行的なスポーツと全く同じ捉え方ができるなと思って腑に落ちました。

昨今はコロナの影響でテレワークが進んでいたりして、コミュニケーションの形がリアルと仮想、ネット上と現実との垣根、境目がどんどん曖昧になってきていると思います。コミュニケーションのあり方が、今まではリアルな現実の方が主戦場、メインだったのですが、これからは逆になっていき、リアルの方がおまけになっていくんじゃないかと思っています。

eスポーツやゲームは、17、8年前からオンラインでつなぐネット上でのコミュニケーションを始めていて、ネット上で結婚される方がいたぐらいなので、早くから、少しずつゲームの世界では仮想現実と現実との垣根・境目が曖昧になってきていたと思います。

この1年でコロナが加速させているところはありますが、もともとゲームで始まっていたことが今、一般的に表面化したんじゃないかと思っています。

動けなくなった時に道しるべとなってくれる、ぶれない夢

ーー女性社長が率いるゲーム開発会社として、数々のヒット作を生み出してきたガンバリオン。山倉社長とガンバリオンのこれからの目標や夢、そして山倉社長がこれから起業する人に向けて伝えたいことは?

ガンバリオン初パブリッシングタイトルのアクションゲーム『ゴロンディア』のキャラクターと

山倉
夢は、世界で認められるゲームをつくることですね。その為に入社する人を増やす、会社を大きくする、ゲームをつくり続けることが目標です。会社としてのビジョンは“永く愛されるゲームをつくること”。皆さんから愛されるゲーム、楽しんでもらえるゲームを作り続けたいと思っています。

起業したいと思っている人には、起業のその先の目的を見失わないでがんばってほしいと思います。起業ってパワーがいるし、自分の中で取捨選択もきっちり決めていかないと、色々な情報にがんじがらめになって動けなくなります。

でも、動けなくなった時に、道しるべとなり自分を正常な道に戻してくれるのって自分が理想とする夢だったりするんです。少なくとも私にとっては、ぶれない明確な夢を持つということが大事でした。ありとあらゆる苦労が待ち構えていると思いますが、その“夢”があなたを助けてくれるはずです。

ガンバリスイッチのオンとオフが、スタッフに愛される会社をつくる

ーー“永く愛されるゲームをつくる”というビジョンのもと日々ゲーム制作にあたっているガンバリオンですが、22年前からの創業メンバーがほぼ変わらず在籍していることも会社としては珍しく、離職率の低さと社員の継続年数が多いことも特徴のひとつ。

社内のリフレッシュルームでゲームを楽しむスタッフのみなさん (2019年)

山倉
10年以上働いているスタッフも多いですし、社員からはガンバリオンという社名の由来にあるガンバリスイッチのオンとオフがはっきりしていることじゃないかと言われました。

また、早い段階で、残業をなくしたり、働き方改革も早いうちに取り組みました。なるべく早く皆が帰るように残業していないかパトロールしたりしています(笑)。若い人材を今募集しているので、“永く愛されるゲームをつくる”“たくさんの人に遊んでもらえるゲームをつくる”という志を一緒に持ってくれる方にきて欲しいですね

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山倉社長の人柄からか、社員の皆さんからは“相談がしやすい” “他の企業さんと比べると社長と距離が近い”といった声を伺いました。いち早く取り入れた働き方改革も、社長の情報収集と実行が早かったのだとか。 “世界で認められる、愛されるゲームをつくる、永く楽しんでもらえるゲームをつくる”という山倉社長とガンバリオンのぶれない夢が道しるべとなり、福岡から世界へ飛躍することを期待しています。

▼▼おすすめ作品▼▼

『ONE PIECE』初のオープンワールドを題材にしたゲーム。読み込みなしで移動が可能で、ルフィのゴムゴムアクションが生かされている。

『ONE PIECE WORLD SEEKER』2019年3月14日発売
©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

山倉千賀子
1972年生まれ。福岡県出身。ゲームソフト販売店で発注・販売を担当した後、ゲームソフト会社営業職を経て1999年に有限会社ガンバリオンを創立(2002年に株式会社に組織変更)。2001年に会社拠点を福岡市に変更。同社開発ゲームソフトのプロデュースを設立当時から手掛け、代表作の人気テレビアニメ「ワンピース」のゲーム(発売元:バンダイナムコエンターテインメント)をはじめとして、大人向けから家族で遊べるものまで多様に渡る。2004年、九州・福岡を拠点とするゲーム制作会社が集まり、ゲーム産業の発展を目指す団体GFF(GAME FACTORY'S FRIENDSHIP)を設立、副委員長に就任。2006年、福岡ゲーム産業振興機構を設立、同委員に就任。九州大学、福岡市とともに、「産・学・官」の連携によって様々な九州・福岡のゲーム産業の振興を目的に活動中。2019年、福岡eスポーツ協会の理事に就任。「永く愛されるゲームをつくる会社へ」をビジョンに、永くお客様の記憶に残り、思い出として語り合えるようなゲームづくりを目指す。

株式会社ガンバリオン
■福岡市中央区渡辺通2-4-8-4F
https://www.ganbarion.co.jp/

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