議会制民主主義が機能した改正特措法成立

コロナ禍、「批判ばかり」でない存在感示した野党

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尾中 香尚里

ジャーナリスト

尾中 香尚里

ジャーナリスト

福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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新型コロナウイルス対応の改正特別措置法などが賛成多数で可決、成立した参院本会議=3日午後

 新型コロナウイルス対策の根拠法となっている改正特別措置法など3法が、3日の参院本会議で可決、成立した。自民党と立憲民主党による与野党協議の結果、懲役刑を含む刑事罰が全削除されるなど、メディアが「野党案丸のみ」と呼ぶ大きな法案修正が実現したことに、筆者はある種の感慨を抱いた。

 「丸のみ」で思い出したのは、20年以上前の1998年に成立した金融再生法だ。古い話になるが、この法律の制定過程を振り返りつつ、野党の現在地を考えてみたい。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 ▽ねじれ国会で成立した金融再生法

 今から23年前、1998年秋の臨時国会は「金融国会」と呼ばれた。当時はバブル崩壊に伴って多くの金融機関が不良債権を抱え、前年から名だたる金融機関が次々と破綻に追い込まれていた。金融危機にどう対処するかが、政治の大きな課題だった。

金融再生関連法を賛成多数で可決した参院本会議。前列右は宮沢喜一蔵相=1998年10月12日午後

 当時は自民党の小渕政権。同年夏の参院選で自民党が惨敗し、参院は菅直人代表(当時)率いる野党・民主党が第1党の「ねじれ国会」となっていた。

 小渕政権は金融機関の不良債権処理を目指し、政府はいわゆる「ブリッジバンク(つなぎ銀行)法案」を国会に提出したが、民主党など野党は「金融機関のモラルハザードが起きる」と批判。対案として、破綻金融機関の一時国有化を含む「金融再生法案」を提出した。

 ねじれ国会で審議が膠着(こうちゃく)する中、与野党の中堅・若手の国会議員が共同で法案の修正に着手。与党が野党案を「丸のみ」する形で決着した。野党が提出した法案が、与野党の共同修正によって成立したのだ。

 法案修正にかかわった与野党の中堅・若手議員は「政策新人類」と呼ばれた。この修正作業に当時民主党から加わっていた1人が、立憲民主党の枝野幸男代表だ。法案が「野党との共同修正」となったため、枝野氏は野党議員でありながら、国会で「法案提出者」として答弁に立った。

 今回のコロナ関連特措法改正案の審議で、立憲民主党の議員が答弁に立つ姿に、金融再生法案の国会質疑の場面がかぶった。

 ▽議席差超える成果

 金融再生法案が出された当時は「ねじれ国会」だったため、当時の小渕政権が野党の意向を無視して政権を運営するのは難しかった。だが現在は、つい先日まで「1強多弱」と呼ばれていたように、衆参両院で与野党の議席差は大きく、政府が国会で野党に配慮すべき状況はない。この政治状況で、政府が野党案を事実上「丸のみ」したと報じられるほどの事態が起きたことには、正直驚いた。与党がここまで「ベタ折れ」するのは、やや想定外だった。

衆院議運委で与党幹部が銀座のクラブを訪れた問題について陳謝する菅首相=2日午後

 背景には、感染拡大を防げない政権自身の責任を棚に上げ、国民に責任を転嫁するかのような罰則規定、それも懲役刑を含む刑事罰の導入まで打ち出した菅政権に対する国民の怒りがあっただろう。複数の与党議員が深夜に銀座のクラブに繰り出すなど、政府・与党側の失点が影響したことも間違いあるまい。

 だが、国会の「外側」の声を、実際に法律を作る国会の「内側」に持ち込み、「表」の国会論戦と「裏」の国対戦術を駆使して政府・与党を追い込む野党政治家の活動がない限り、政府案の内容を変えることはできない。今回の法改正は、野党が与党との議席差を超える一定の成果を上げたと認めていいと思う。メンツにこだわらず法案を修正した与党も含めて、国会がそれなりの機能を果たしたことを評価できるのではないか。

 もちろん、今回の改正法が、問題点が十分に修正された法律になったとは、筆者も思っていない。特に、緊急事態宣言を発令せずとも、国民に対し強制力を持った私権制限を行うことを可能にする「まん延防止等重点措置」(「予防的措置」から名称変更)が残ったことには、かなり強い不満を持っている(1月16日公開の小欄「特措法改正案『予防的措置』の意味不明」 https://www.47news.jp/47reporters/5726207.htmlをお読みいただきたい)。

 だが「国会で野党の主張を100%認めさせる」ことは、物理的に不可能だ。有権者がどうしてもそれを望むなら、次の総選挙で野党を勝利させ、政権与党として自らの政策を実現させるしかない。現実に野党の立場にあり、何もしなければ政府案が原案通りに成立する状況で、当面の獲得目標をどこに置くかは、それぞれの野党の選択だ。

 「これだけは絶対にのませる」項目を定め、与党との協議に応じて確実にその修正を実現させるか。反対討論などで政府案の問題点を議事録に残し、政府案の原案通りの成立はやむなしと考えるか。日程闘争などあらゆる手段を駆使して、政府案の廃案を狙うのか―。

 政府案を批判する人は、それぞれの野党の選択を見極めた上で、その時々で最も自分の考えに近い野党を支持すれば良いだけのことである。

自自連立政権発足後初の自由党大会で、小渕首相と握手する小沢党首(右)=1999年6月7日午前、東京都港区

 ▽「足並みの乱れ」では崩れぬ与党への対峙

 さて、筆者がここで金融再生法を持ち出した理由は、実はもう一つある。法律が成立した後の政治状況を振り返っておきたかったのだ。

 前述したように、金融国会の当時は、金融機関が次々と破綻に追い込まれ、経済的にはまさに緊急事態と言えた。政治的にはねじれ国会。当時の民主党が政局を優先し、政府・与党に徹底した反対姿勢を貫いていれば、小渕内閣の倒閣も不可能ではなかった。だが、当時の民主党は代表の菅直人氏以下、そろって「金融問題は政局にしない」方針を貫いた。

 こうした民主党の方針に、当時少数野党・自由党の党首だった小沢一郎氏は反発した。一方「野党案丸のみ」に衝撃を受けた自民党は、対立していた小沢氏に「ひれ伏してでも」と連立入りを呼びかけた。金融再生法の成立翌年の1999年1月には、自民党と自由党の連立政権が発足。10月には公明党が連立に加わり、現在に至る自公連立政権の基礎ができた。法律の制定では一定の成果を上げた野党だが、その後の政治の流れは苦いものとなった。

 改正特措法に話を戻す。

 今回、野党各党の法案対応は賛否が割れた。立憲民主党は自民党との修正合意で賛成に回ったが、共産党、そして国民民主党が、法案に反対した。「野党の足並みの乱れ」をあげつらう、いつもながらの指摘もあった。

 では、あの金融国会の時のように、今後野党の足並みが乱れ、一部の野党が与党側に吸い寄せられるような展開はあるのだろうか。

 結論から言えば、筆者はその可能性は低いと考えている。根拠は共産党の振る舞いだ。

 かつて「たしかな野党」を標榜(ひょうぼう)し、野党第1党との差別化を図る姿勢が目立った共産党。今回の改正特措法において、志位和夫委員長ら党の指導部は表だって立憲民主党を批判していない。別々の会派として個々の法案の投票行動が異なることを尊重しつつ、野党ブロックとして政府・与党にともに対峙(たいじ)する「構え」を崩そうとしてはいないのだ。

 日頃から政権に近いスタンスを取る日本維新の会や、「提案型」を標榜して立憲民主党との差別化を図る国民民主党の中に、自民党との修正協議に臨んだ立憲民主党への不満が渦巻いている。だが、衆院での野党第1党の立憲民主党、そして共産党の姿勢が安定していれば、現在の野党全体の置かれた状況に大きな変動が起きることはほぼないとみる。仮にあったとしても、それは政治全体の中で、さほど大きなインパクトを起こすこともないだろう。

衆院予算委で、菅首相に質問する立憲民主党の枝野代表=4日午後

 ▽国難級の危機経験、「たしなみ」ある野党に

 話を整理すると、現在の野党のベテラン政治家には、前述の金融国会のほか、村山政権での阪神・淡路大震災、菅直人政権での東日本大震災など、多くの国難級の危機に政権与党として対峙した経験を持つ議員が多い。「緊急時には与党も野党もない」という意識が、一定程度浸透している。野党として現政権の問題点を監視する機能は維持しつつ、危機対応の場面では、必要な批判を交えながら政府に積極的な提案を行う「たしなみ」がある。

 現実にコロナ禍では、改正特措法だけでなく、野党の提案を政府が取り入れた例は複数あった。昨年は、政府がいったん閣議決定した予算案の組み替えまで実現させている。

 巷間(こうかん)言われる「野党は批判ばかり」は、現在の野党の姿とはかなり異なっている。個々の法案対応の違いといった「小さなこと」(あえて言う)で、野党ブロックの「構え」が大きく崩れることも想定しにくくなった。

 野党ブロックが「政権の選択肢」として認知されるには、まだ多くの課題はあろう。それでも、現在の野党のありようは、2012年の民主党下野と第2次安倍政権の発足以降、最も安定した状況に入りつつある。健全な議会制民主主義の確立という意味で、このことは与党支持者にとっても望ましいことのはずだ。