隠元禅師が結ぶ絆 中国から興福寺に友好の鐘 長崎 戦時中に供出 「和平」刻み復活

寄贈された鐘を前に「中国と長崎の友好の証で大変うれしい」と語る松尾住職=長崎市、興福寺

 日本で黄檗宗(おうばくしゅう)を開き、煎茶や明朝体文字などを伝えた隠元禅師が江戸時代に滞在した長崎市寺町の興福寺に、出身地の中国福建省から、鐘が寄贈された。松尾法道住職(70)は「中国と長崎の友好の証。大変うれしい」と喜びをかみしめている。
 同寺は第2次世界大戦中、金属資源として鐘を供出して以降、鐘がない状態が続いていた。2019年11月、当時の同省トップ、于偉国書記が来崎した際、現地を視察してその状況を知り、鐘の“復活”に向けた協力を申し出た。
 鐘は高さ約2メートル、直径約1.2メートル、重さ約2.5トン。隠元禅師が来日前に住職を務めていた同省の萬福寺が設計し、外側に「世界和平」と刻まれている。
 今月初旬、文化財を取り扱う専門業者が鐘を設置する鐘鼓楼に運び入れた。かつての鐘より1トンほど重く大きいという。2階につるせないため、今月下旬、1階に設置する予定。約2メートル四方の説明板も届いており、敷地内に設置する。
 興福寺は昨年、創建400年の節目を迎えた。記念法要は新型コロナウイルスの影響で延期しており、今年11月14日に開く予定。松尾住職は「梵鐘(ぼんしょう)が復活し、やっと終戦を迎えたという気持ち」と感慨深げだった。

© 株式会社長崎新聞社