自らのコロナ感染「うわさ」が先に 実名出回り…戸惑いと不安 離島の自営業男性

感染した男性に関するうわさは、自身の知らないところで一気に広まっていた(写真はイメージ)

 自らの感染に気付くきっかけは、うわさ話だった。
 長崎県内の離島に暮らす賢一(仮名、自営業)はこの冬、酒席を共にした知人が新型コロナウイルスに感染したと、別の知人からの連絡で知った。寝耳に水だった。知人は続けた。「賢一もコロナだろうってうわさが出てる」。同席者として実名まで出回っているらしかった。
 自分も感染しているのだろうか。戸惑いながらも、慌てて保健所に電話した。担当者によると、賢一は検査対象外だという。一般的に感染者が他人にうつす可能性が高いのは発症2日前からとされ、酒席は知人が発症する3日前だった。だが、不安を拭えず、接触者として検査を頼んだ。
 その日の夕方、病院の医師から「陽性」と連絡が入った。自覚症状はなかったが、「ウイルスの量が多い」と説明され、翌日から入院することになった。すぐに、この数日間に会った人に連絡した。保健所職員にも接触者を1人残らず伝えた。その日の夜に限り、38度を超える熱が出た。
 「ほとんど無症状だったのが怖い。自分から保健所に連絡していなければ、もっと人に会っていたかもしれない」
 翌朝、自分の車で病院に向かった。病室は全く知らない男性との2人部屋で、間を隔てるのはカーテン一枚だけ。「隣の人のせきがすごかった」。熱が下がった後は普段通りの体調で、自分も感染者だという自覚が持てなかったため、怖いと感じた。「夜もマスクをしないと眠れなかった」
 入院中は部屋の中にあるトイレを使うときか、入り口の椅子に置かれる食事を取りに行くとき以外、ベッドで過ごした。看護師と話すのは、朝夕に体温や血圧、血中酸素濃度を電話で伝えるときくらい。隣の患者に迷惑をかけそうで、家族との電話も頻繁にはできない。病室は気圧が低く保たれ、ウイルスを含む空気が外部に漏れないようになっていた。開けられない窓の外を眺めながら、自分の情報が島内でどう広がっているのか、不安ばかりが募った。

◆デマや中傷「感染より怖い」 情報拡散なすすべなく

 県内の離島で新型コロナウイルスに感染し、一度発熱した以外、ほぼ無症状だった賢一(仮名、自営業)は3日間の入院後、宿泊療養施設に移ることになった。移動は自分の車。この時、ある恐怖が頭をよぎる。自分の感染を知る人に見られたら「もう出歩いている」と疑われるのでは-。車は目立つ外観で、賢一の車だと知る島民も少なくなかったのだ。

男性は完治した今も、外出する際には人の目が気になる(写真はイメージ)

 できるだけ裏道を探し、施設を目指した。だが案の定、「退院している」というデマが出回っていると、後で知人から聞いた。「うわさをする人は、本人に確かめもせず言いふらす」。そう身に染みて感じる。
 療養施設は、2人部屋だった病院と異なり、個室だった。部屋には風呂もあり、仕事用のパソコンを持ち込むこともできた。毎食、弁当で、温かい食事を取れない他は、大きな不満はなかった。
 ただ、気掛かりなことがあった。賢一の濃厚接触者として検査を受けた家族に、複数の感染者が出ていた。特に入院した父親には持病があり、39度台の高熱が数日間続いていると聞いていた。
 「もし父親が死ぬことがあれば、感染させた自分は“殺人者”と見られる。葬式にも出られないんじゃないか…」。家族の感染も既に周囲に知られていた中、父の容体への心配と、うわさへの恐怖で押しつぶされそうだった。そして思った。「もっと大量の感染者が出るといい。そうすれば自分は目立たなくなり、楽になれるのに」。普段なら絶対に考えない、追い込まれた末の心境だった。
 入所から約1週間後、退所した。その後、父親らも無事に退院したが、嗅覚や味覚の異常が続いた家族もいた。それぞれが自主的に自宅待機や隔離を続け、賢一は1カ月ほど家族に会えなかった。
 今も人の目が気になり、スーパーなどには、できるだけ人が少ない時間帯に行く。信頼できる友人には感染した経緯などを明かしたが、誤った情報や誹謗(ひぼう)中傷がどこでどう流れているか分からなかったからだ。
 一方的に出回る情報に、なすすべもなかった賢一。「誰もが感染者の情報を言いふらす状況だと、感染した人も怖がって保健所などに正しい情報を伝えず、感染拡大を防げなくなる」と危惧している。県などには、インターネット上を含めたデマや中傷が起きないよう相談した。その上で、こう言った。
 「本当に地獄でしかなかった。自分が全く知らない人が、やけに詳しい情報を言いふらしていた。なぜ個人情報が出回るのか。コロナの症状より、うわさの方がずっと怖い」
=敬称略=


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