大瀧詠一が手がけたクレージーキャッツ「実年行進曲」80年代の50〜60代ソング! 1986年 3月6日 ハナ肇とクレージーキャッツのシングル「実年行進曲」がリリースされた日

クレージーキャッツのレギュラー番組『8時だョ! 出発進行』

ドリフターズ世代の自分にとって、子供の頃に見たTBSの『8時だョ! 出発進行』は不思議な番組という印象しかなかった。

『8時だョ! 全員集合』と同じフォーマットでありながら、ドリフは不在で、代わりにあまり見たことのない、もう少し上の世代のグループが出演していたからである。残念ながら小学1年生の身には彼らが何者かをまだ認識出来なかった。

それがドリフの先輩にあたるハナ肇とクレージーキャッツであったこと、そして日本テレビで新たにドリフの番組を始めるにあたり、71年4月から半年間だけ放映された繋ぎの番組であったことはずいぶん後になってから知った。その2年後からフジテレビで放映された帯番組『クレージーの奥さ~ん!』の記憶はもう少し鮮明になる。この2つの番組が、自分がかろうじてリアルタイムで見ることの出来たクレージーのレギュラー番組だったのである。

青島幸男✕萩原哲晶✕宮川泰 鉄壁の布陣、植木等「これで日本も安心だ!」

その後、メンバー個々の活躍には触れながらも、グループとしての成り立ちを知ったのは、小林信彦の著書『日本の喜劇人』であり、同時に音楽作品に触れたのは大瀧詠一のラジオ『ゴー・ゴー・ナイアガラ』であった。この二人の存在なくしては、高校時代からクレージーキャッツにのめり込むことはなかっただろう。

それからクレージー映画のオールナイト上映に通う様になるまでさほど時間はかからなかった。『ゴジラ』シリーズや『若大将』シリーズと共に、新宿コマ東宝、テアトル池袋、浅草東宝といった映画館での後追い体験に熱中した。

最初に手にしたレコードは、1979年に出された植木等のシングル「これで日本も安心だ!」だった。カップリングは「スーダラ節’79」で、結成25周年記念アルバム『ハナ肇とクレージーキャッツ』からのシングルカット。LPは少し後になってから中古で手に入れている。レコードで聴いたクレージサウンドは初めてだったから、この曲には特別な思い入れがあるのだ。

青島幸男✕萩原哲晶✕宮川泰による作詞・作曲・編曲という鉄壁の布陣も素晴らしい。出来ることなら日劇で催された記念公演へ行き、生で聴きたかったとつくづく思う。

大瀧詠一の提案がヒント? 1982年に復刻された初期のシングル

そんな遅れてきたクレージーファンにとっての朗報は、ずっと廃盤になっていた初期のシングル盤が1982年に復刻されたことである。折しも巻き起こっていた廃盤ブームに乗って各社から歌謡曲の7インチ復刻が相次いでいた。東芝レコードの “ザ・復刻盤シリーズ” にラインナップされたクレージーの5枚組を発売日に買いに走った。

この企画は大瀧詠一の提案もヒントになったらしい。既に中古レコードも集め始めてはいたものの、復刻とはいえど新品のレコードで聴く「スーダラ節」や「ハイそれまでョ」は格別であった。

頻繁にクレージーキャッツの曲がかかり、時には特集も組んでいた大瀧詠一のラジオ『ゴー・ゴー・ナイアガラ』を自分が聴けたのはTBS時代。残念ながらその前のラジオ関東時代には間に合わなかったが、1982年8月から『サウンドストームDJANGO』の枠で放送された最後の8ヶ月間は特に熱心に聴いた。

毎週火曜の夜はエアチェックしながらラジオの前に鎮座し、後半の「ジャパニーズ・グラフィティ」でクレージーや小林旭など、60年代歌謡曲の魅力をたんまりと教え込まれる。正に “楽しい夜更し” だった。

結成30周年、大瀧詠一が手掛けたクレージーキャッツの新曲「実年行進曲」

クレージーキャッツは1985年に結成30周年を迎えて再び結集。10月にフジテレビで記念番組『アッと驚く! 無責任』が放映された。そこへ80年代のクレージーキャッツ最大のニュースが! 大瀧詠一がクレージーの新曲を手がけることになったのである。サントリービールのCMソングとなった「実年行進曲」は「新五万節」とのカップリングで1986年3月にリリースされた。作詞はもちろん青島幸男。デビュー盤「スーダラ節」と同じポジションでメンバー揃ってジャケット撮影されるという凝りようで、レコード盤も当時を模した赤盤、かつての黄色いオリジナル袋まで再現された。ベースになった曲は青島×萩原コンビの「大冒険マーチ」である。

大瀧とは金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」で組んだ後、1984年に惜しくも世を去った萩原哲晶へ敬意を表し、萩原の名が “原編曲” としてクレジットされたのが嬉しかった。さらにシングル盤の内側の空溝に “TO DEKUSAN” という文字の刻印が見られる。“デクさん” は仲間うちで呼ばれていた萩原のニックネームである。この愛情いっぱいのレコード、自分はあまりに嬉しすぎて3枚も買ってしまった。同じ月には日本テレビで『シャボン玉ホリデー』の復活特番が放映されてクレージーの面々も出演している。

なんて幸せな春だったのだろう。

そして気がつけば自分もいつの間にか実年になっていたのだった。

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※2017年9月30日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 鈴木啓之

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