米雑誌「ハスラー」創刊者死去 17年にはトランプ前大統領失脚情報に褒賞金10億円

ラリー・フリント氏(ロイター)

米ポルノ雑誌「ハスラー」を創刊するなど、過去半世紀近くにわたり米アダルト産業をけん引したラリー・フリント氏が10日午前、ロサンゼルスで心不全のため亡くなった。78歳。米芸能サイト「TMZ」が伝えた。

フリント氏は1974年にハスラー誌を創刊すると、米男性誌のパイオニア「PLAYBOY」がアートなヌードを売りにしてきたのに対し、ポルノを全面に押し出したことで男性の間で人気となった。

だが、露骨な性描写を流通雑誌として初めて掲載したことで、各方面から猛反発を浴び、流通市場からの締め出し圧力を受けた。

そんな中、71年に隠し撮りされたジャクリーン・オナシスさんが日光浴するヌード写真を1万8000ドル(当時の円換算で約550万円)で買い取り、75年8月号で掲載。

たちまち世界的注目を集め、わずか数日で100万部を完売。フリント氏は巨万の富を得て、当時としては巨額の37万5000㌦(同約1億1400万円)で大豪邸を手にした。

ところが78年3月、白人至上主義の連続殺人犯から銃撃を受けて下半身不随となり、亡くなるまで車椅子の生活を送った。

TMZによると、同氏は政治的野心も旺盛で、レーガン大統領が再選を勝ち取った84年の大統領選に出馬。アーノルド・シュワルツェネッガーが当選したカリフォルニア州知事選挙にも立候補した。ともに選挙戦途中で断念している。

また、インターンとの〝不適切な関係〟をめぐるクリントン大統領の弾劾裁判では、〝フリント報告書〟をまとめるためとしてクリントン氏による性犯罪の証拠となる情報提供を約1億円で呼びかけた。

17年にはトランプ大統領を失脚させるための情報に約10億円を贈呈するとして、米紙ワシントン・ポストに情報提供を呼びかける全面広告を出した。

一方、私生活では5度の結婚で娘5人と息子1人をもうけた。最後の妻エリザベス・ベリオスさんとは98年に結婚した。

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