故池野清「足を洗う少年」 長崎大学病院で発見 半世紀ぶり公開へ

長崎大学病院で見つかった池野清の油彩画「足を洗う少年」

 長崎原爆で被爆後、長崎市で制作を続け、46歳の若さで亡くなった洋画家、池野清(1914~60年)の58年の油彩画で所在不明だった「足を洗う少年」(縦73センチ、横約53センチ)が、長崎大学病院(同市)で見つかった。作品十数点を所蔵している県美術館(同市)が先月、実物を確認した。同美術館は8月開幕する「池野清展」での展示を目指しており、一般公開されれば55年ぶりとなる。
 池野は同市生まれ。41年、中央の絵画公募展「独立美術展」の会友に推挙。45年8月の長崎原爆で救援活動のため爆心地に入り被爆。原爆の後遺障害とみられる胸部疾患を患い、60年に肝臓がんで亡くなった。単純化された風景や樹木、静物などを厚塗りの抑えた色調で描いた油彩画で知られ、その生涯は友人で同市出身の作家、佐多稲子の長編「樹影」(72年)のモデルとなった。
 同館によると「足を洗う少年」は58年の第26回独立展に出品、入選した作品。死後の61年刊行された「池野清画集」にカラー写真が収載されており、池野の主要な作品の一つという。同病院所蔵の記録があったが、所在不明だったため同館が行方を捜していた。最近になって、同病院の院長室に飾られていたことが分かった。
 同館の福満葉子学芸専門監が先月末、同病院を訪れ作品を調査、確認した。同病院によると入手の経緯は不明。同館は8月の展覧会への貸し出しを病院側に要請している。一般公開されれば、池野の7回忌に合わせた66年の遺作展以来となる。福満氏は「作品が確認できてうれしい。数十年ぶりに一般公開が実現できれば」と話した。「池野清展」は8月6日~11月7日。

作品の状態を確認する福満氏=長崎市坂本1丁目、長崎大学病院

池野が同作と一緒に第26回独立展に出品、入選した作品「六月の牛」の所在が分かっておらず、県美術館で行方を捜している。問い合わせ、情報提供は同館(電095.833.2110)。

所在不明の「六月の牛」(「池野清画集」掲載のモノクロ写真、県美術館提供)

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