あと1人で逃した史上初の完全試合 振り返る39年前の夏「凄いことだと知らなかった」

現在は埼玉西武ライオンズ・レディースの監督を務める新谷博氏【写真:編集部】

新谷博氏は82年夏の甲子園、木造戦で9回2死から死球を与えた

昨年はコロナ禍で中止になった甲子園大会だが、今年は開催予定。第93回選抜高校野球大会に出場する32校は1月29日に発表され、3月19日に開幕する。これまで甲子園では数々のドラマが生まれた。完全試合にまつわる話もその1つ。いまだ達成者がいない夏の甲子園での完全試合に最も近づいた元西武の新谷博氏が、当時の思い出を語った。

佐賀商のエースとして1982年夏の甲子園に出場した新谷氏は、1回戦の木造(青森)戦で9回2死まで走者を一人も出さないパーフェクトピッチングを続けていた。27人目の打者に死球を与え、夏の甲子園史上初の大記録は果たせなかったが、次打者を二ゴロに打ち取ってノーヒットノーランを達成した。

試合中に“完全ペース”であることに気が付いていたと振り返る新谷氏。その後に出てきた言葉は衝撃的だった。「パーフェクトだとかノーヒットノーランとかいう記録は知っていたけど、凄いことだと知らなかったんです。僕の中では完封と同じでした」。

「えっ? 完全試合と完封が同じ?」。思わず聞き返してしまった。「同じ、同じ」と笑った新谷氏が続ける。「だから、まだパーフェクト中だとかそんな意識は全くなかったです。普通に完封しているのと一緒だから。27人目のバッターに対しても意識は全くなくて、全然緊張していませんでした。それは生意気だとかそういうことではなくて、それだけ物を知らない本当の田舎者だったということです」。

完全試合の価値を知ったのは試合後、「その時は悔しかった…」

インターネットもなく、情報が少なかった時代。プロ野球中継を見る機会もほとんどなかったという。「小学生の時は親父が違う番組を見ていたし、中学では自分が野球をやめちゃっていた。高校は練習ばっかりで見る暇がなかったです」。完全試合がどんなに稀で偉大な記録であるか、知る由もなかった。

そんな「ど田舎の高校生」にとって、甲子園は夢の場所だった。「(地方大会で)優勝した後に甲子園のことを想像しながら練習するじゃないですか。もちろん行ったことなんてなかったです。隣の長崎県くらいまでしか出たことがないんですから。何万人も入るという世界を知らないから想像だけ膨らんで、化け物みたいな大会だと思っていたんです。正直言うと、パーフェクトとかノーヒットノーランは、完封と同じくらい毎年普通に出ているものだと思っていたんです」。

完全試合の価値を知ったのは試合後。「新聞記者の方から聞いて初めて知って、その時は悔しかったです」と苦笑まじりに明かした。

それから40年近く経った今も夏の甲子園で完全試合は1度もない。大記録に最も近づいた右腕は“勿体なかった”という思いを抱いているだろうか。

「やっていたら『夏は1人だけ』と言われるでしょうけど、別にそれで飯を食える訳じゃないでしょ(笑)。やってもやらなくても、そこまでいったのは今のところ1人。だから、どっちでもあんまり変わらないですね」。

後に西武に入団して最優秀防御率のタイトルを獲得するなど活躍した新谷氏は、39年前に「ど田舎の高校生」が演じたドラマを思い起こして豪快に笑った。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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