ザハ、ユナイテッド時代の記憶「香川真司と二人だけの練習」

2013年1月にクリスタル・パレスからマンチェスター・ユナイテッドに加入したものの、なかなか出場機会を与えられなかったウィルフリード・ザハ。

カーディフ・シティへのローン移籍を経て2014年の夏にマンチェスター・ユナイテッドへ復帰したものの、そのまま古巣クリスタル・パレスへと貸し出されている。

その時マンチェスター・ユナイテッドで監督に就任していたのはルイス・ファン・ハール氏であったが、ザハはその信頼を勝ち取ることができなかった。

彼は今回『On the Judy』のポッドキャストに出演し、そのユナイテッド時代のことを振り返って以下のように話したという。

ウィルフリード・ザハ

「正しい場所を見誤っていた。振り返ればできることはあまりなかったと思う。後悔しているか聞かれることはあるが、そんなことはない。精神的に強くなったし、素晴らしい人々とも出会えた。

デイヴィッド・モイーズ監督は、どういうわけかクリスタル・パレスではなくカーディフに僕を貸し出した。ただ、そこでの僕は誰とも親しくせず、今の自分とはかけ離れていたね。

チームが降格して、ユナイテッドに戻った。監督はファン・ハールになっていて、僕には2つの選択肢が与えられた。ウイングバックでプレーするか、ストライカーをやるか。

両方ともプレーしたことがなかったので、失敗が約束されていたようなものだった。当時はゴール前まで戻るのも苦手だったし、その意識もなかったから、ストライカーをやるしかなかったしね。

プレシーズンではインテルやレアルと対戦した。ヴィディッチやペペ、セルヒオ・ラモスと最前線で戦った。とんでもない相手の中に投げ込まれたようだった。狂っていたね」

「その後、ユナイテッドは僕に1回のトレーニングセッションを与えたんだ。チームに残すか残さないかを判断するためにね。

監督はファン・ハールで、そのアシスタントはライアン・ギグスだった。

このトレーニングセッションはまさに改めて行われた入団試験のようだった。

初めてマンチェスター・ユナイテッドに行ったときは家を買ったが、そのときはどうなるかわからなかったのでホテルに泊まっていたよ。

トレーニングセッションでは、ルーニーが『君はよくやっているね』と行ってくれたが、コーチからは『君が十分にいいとは思わない。退団を勧める』という感じだったね。

プレシーズンだったし、何も言わなかった。むしろホッとしたよ。素直に言ってくれて、そしてキャリアを再開できるようにローンで放出してくれて助かった。

ユナイテッドにいた時は本当に悪い場所に行っていた。文字通りいつも外出して、狂ったことをしていた。十分にいい食事もとっていなかった。めちゃくちゃだったね。

香川真司と二人だけでシュート練習をしたときのことも覚えているよ。知っての通り、基本的に気にかけられていなかった。U-23(リザーブ)で練習することすらもなかった」

【写真】「マンチェスター・ユナイテッドで消えてしまった」天才たち

うまく行かなかったマンチェスター・ユナイテッド時代。香川真司と二人で練習しなければならない状況にもなっていたようだ。

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