<社説>県政運営方針 基地「50%」はあいまいだ

 玉城デニー知事は2021年度の県政運営方針を示した。新型コロナウイルス感染症の拡大防止や経済回復に強い意欲を示したものの、施政権返還(日本復帰)50年を来年に控えた決意表明としては迫力に欠ける。 特に県内にある在日米軍専用施設の全国比について「50%以下を目指す」と初めて表明したが、数字の根拠を示さずあいまいだ。首里城地下に構築された第32軍司令部壕についても具体的な保存・公開の方策が今一つ見えない。

 米軍基地について知事は、県議会の海兵隊撤退決議に触れ「当面は在日米軍専用施設面積の50%以下を目指す」と表明した。この数値目標が日米両政府に誤ったメッセージにならないか危惧する。

 米軍専用施設について県は「専ら日米地位協定のもとで管理、運営され、基本的にはその運用に国内法が適用されず、また、立ち入り許可なども米軍の裁量によりなされる施設」と説明している。その米軍専用施設は国土面積の約0.6%しかない沖縄に約70.3%集中している。

 05年の米軍再編協議で、日本側は米軍専用施設の割合を減らそうとした。具体的には米軍専用施設を他府県のように自衛隊管理の基地とし、米軍が「間借り」(共同使用)する案だ。

 ただしこれは数字上のトリックにすぎない。自衛隊管理にして割合を減らしても、共同使用となれば基地機能の強化につながるからだ。そもそも米軍が基地自由使用の権利を手放すかどうか疑問だ。

 海兵隊撤退を自らの言葉で明言せず、大田県政が示したような独自の返還計画も打ち出さない。与党からも「インパクトに欠ける」との指摘があったように、数値目標を示すだけでは基地の整理縮小に結び付かないのではないか。

 一方、第32軍司令部壕について「保存・公開に向け、平和発信・継承の在り方等の議論を進めていく」と表明した。だが「議論」だけで終わらせてはならない。

 沖縄を本土防衛の捨て石とした「戦略持久戦」を指揮した第32軍の拠点である司令部壕の保存・公開は、沖縄戦の実相を語り継ぐ上で不可欠だ。住民に多大な犠牲を強いた日本軍の南部撤退を決めたのも、司令部壕での会議であった。沖縄戦の本質を継承する上でも貴重な戦争遺跡だ。

 1960年代、第32軍壕の公開の可能性を探るため那覇市と沖縄観光開発事業団が調査を実施した。90年代には大田県政が調査しており、公開は可能との結論を導いた。

 壕の構築から76年を経て坑道の劣化が進む。焼失した首里城の再建に向けた動きの中で32軍壕に注目が集まっている今回が保存・公開の最後の機会となろう。県は資料収集を始めているが、それにとどまってはならない。32軍壕の現状を確認するための実地調査も必要だ。県の積極的な取り組みを求めたい。

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