小倉城でミニ企画展「忠興の妻・細川ガラシャ」開催中

2月28日(日)まで、小倉城天守閣内1階企画展示コーナーで、小倉城を築いた細川忠興の妻・玉子(洗礼名ガラシャ)を紹介するミニ企画展「忠興の妻・細川ガラシャ」が開催されています。

ガラシャゆかりの短刀や加藤清正書状など貴重な品々を展示

戦国武将、明智光秀の娘で、小倉城を築いた細川忠興の妻・ガラシャ。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いを前に、西軍の石田三成から人質になることを迫られましたが、これを拒否し、死を選びました。ガラシャの死は大きな波紋を呼び、戦いの行方にも少なからず影響を与えたと言われています。

徳川家康が率いる東軍に属して活躍した忠興は戦功により、丹後国宮津12万石(ほかに豊後国杵築6万石)から、豊前国中津33万9000石に杵築6万石を合わせると39万9000石に転じ、大大名となりました。その後、忠興は小倉城を大規模改修して拠点を移し、城下町を建設して、小倉および北九州の基礎を築きました。

今展では、ガラシャゆかりの短刀(島田美術館蔵)の展示をはじめ、加藤清正書状(松井文庫蔵)、元侍女の霜女覚書(永青文庫蔵、今回はパネル展示)などの貴重な展示品の数々によって、ガラシャの最期の様子を明らかにし、小倉城主細川忠興誕生のドラマに迫ります。

◆オンライン講演会
2月22日(月)午後7時~午後8時30分には、オンライン講演「光秀の娘・ガラシャの一生~あつい信仰心と夫・忠興の愛憎劇~」が開催されます。講師は、福岡大学人文学部准教授・山田貴司さん(元熊本県立美術館学芸参事、「ガラシャ展」担当)。参加費無料。参加用URLは、後日、小倉城HPで案内されるとのことです。

小倉城とは

細川忠興によって1602(慶長7)年に築城が始まり、約7年の歳月を要して完成した「小倉城」。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。

1632(寛永9)年には、細川家と姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が入国。この時期、小倉は九州各地に通じる街道の起点として重要な地位を確立しました。同時に小倉城は一層充実し、城下町も繁栄しましたが、1837(天保8)年、城内から発した火災によって全焼。2年後に再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。

市民の熱望によって1959(昭和34)年に再建された天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、4階より5階が大きくなっているのが特徴的です。

また、城の石垣は切り石を使わない野面(のづら)積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。

企画展概要

ミニ企画展の概要は以下の通り。

企画展名ミニ企画展「忠興の妻・細川ガラシャ」開催日時2月8日(月)~2月28日(日)午前9時~午後5時 ※入館は午後4時30分まで会場小倉城天守閣内1階企画展示コーナー(北九州市小倉北区城内2-1)入場料一般350円、中高生200円、小学生100円 ※「北九州の魅力再発見パスポート」を持っている人は入場無料休館日なし公式HP

(北九州ノコト編集部)

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