近藤真彦「情熱☆熱風☽せれなーで」時代を映す鏡だったマッチの異色作? 1982年 1月7日 近藤真彦のシングル「情熱☆熱風☽せれなーで」がリリースされた日

ターゲットはツッパリ?「せれなーで」のファンシー感覚

もし、僕がミュージシャンで、近藤真彦トリビュートなる企画アルバムに参加することになったら、それはもう、「情熱☆熱風☽せれなーで」にするってとうの昔から決めている(笑)。なんたって「セレナーデ」ではなく「せれなーで」だ。

この楽曲を作詞した伊達歩(直木賞作家であり、夏目雅子、篠ひろ子を妻にめとった伊集院静)がどのような意図でひらがなにしたのかはわからないが、この「せれなーで」のファンシーな感覚に当時の多くのツッパリ少年たちが心ときめいたのは間違いないと思う。それは、デビュー曲の「スニーカーぶる~す」の踏襲だったかもしれないが、よりファンシーに、よりポップに感じたのは僕だけではないはずだ。

校内暴力の嵐が吹き荒れる80年代初頭のツッパリは、イカツイ風体と相反してファンシーなものが大好きだった。例えば、パンチパーマにパイプのマークのトロイのハイネックシャツ、ストライプのスラックスというニュートラのファッションに、足元はレディース仕様のアミアミのサンダルというコーディネイト。

なお、ここで言うニュートラは、女性誌『JJ』などで提唱されたトラッドを基本とし海外ブランドでコーディネイトしたレディーズファッションとは異なり、極めてドメスティックなツッパリスタイルで、当時はそう呼んだものである。

さらにファッションだけでなく、ネコが長ランを着てハチマキを巻いて一世を風靡した「なめんなよ」(通称、なめ猫)の免許証仕様のブロマイドだって大好きで、暴力衝動と同じくらいファンシーでキュートなものに心ときめかせていた。このようなブームに追随して、ツッパリが好むレタリングは、ファンシーな丸文字だった。ツッパリ女子はみんな丸文字だったし、男子もこぞって真似していたように思う。

ストレイキャッツもファンシー表記!丸文字は80年代のユースカルチャー

1986年、おニャン子クラブで、初期メンバーのリーダー的存在だった永田ルリ子の手書き文字が話題となった。このコミカルで独特な丸文字は、「ルリール」と命名され、写真植字機のフォントとして正式採用された。この時、世間で丸文字が注目されるようになったのだが、その5年以上前からヤンキーたちは丸文字に夢中だった。彩り鮮やかなレターセットに丸文字でラブレターを書くツッパリ少年。これが80年代初頭のユースカルチャーのワンシーンでもある。

この丸文字を思わせる「せれなーで」というファンシーな表記。同時期の洋楽シーンに目をやってみると、プラチナブロンドのリーゼントと腕に施されたタトゥーでシーンに躍り出たストレイキャッツのシングル「STRAY CAT STRUT」の邦題が「ストレイ・キャットすとらっと」だったことを思い出す。ストレイキャッツにしてみても、日本のレコード会社の宣伝部は、ツッパリ少年たちを取り囲もうと必死だったのかもしれない。

硬派な青春路線から一転、哀愁を帯びたオトナの男を歌う近藤真彦

さて、本題に戻って、「情熱☆熱風☽せれなーで」だが、曲調もそれまでの「スニーカーぶる~す」から続く刹那で硬派な青春路線とは異なり、ふわりとした春風のような軽妙さがウリで、当時のマッチとして異色の作品になっている。

70年代に山口百恵が、阿木燿子、宇崎竜童というゴールデンコンビとタッグを組み、少女からオトナの女性への変貌を歌にしてきたように、マッチの80年代の楽曲の系譜もまた、純情で向こう見ずな不良少年が、酸いも甘いも嗅ぎ分け、哀愁を帯びたオトナの男性になるまでの軌跡を楽曲の中で表現していったと思う。

その完結編が、1987年に第29回レコード大賞を受賞した、ショーケンとの競作「愚か者」(ショーケンがリリースしたタイトルは「愚か者よ」)だと思う。もちろん、そこに至るまでに「ヨコハマ・チーク」や「ケジメなさい」などのポップ・チューンをウリとした佳曲がいくつかあるが、その中でも特に「情熱☆熱風☽せれなーで」の毛色の違いは、40年経った今でも僕の中で大きなインパクトを残している。

ポップでふんわり、マッチらしからぬ意外性? 時代を映した名曲

 名前さえ知らないのに お前に恋したのさ

冒頭にモノローグのように歌うのは、従来の純情な不良少年というマッチの路線であったとしても、どこかサラリとしている。さらに「ポニーテール」「赤いヒール」「Moonlight Kiss」という50Sテイストなワードがポップな世界観を醸し出しているのだ。

この時期のマッチの楽曲には、「ヨコハマ・チーク」の中の「♪ さあすねないで 赤いブーツで 小石けって」や、「ギンギラギンにさりげなく」の中の「♪ 赤い皮ジャン引き寄せ 恋のバンダナ渡すよ」といったように “赤い小道具” が度々登場する。それが「情熱☆熱風☽せれなーで」での「赤」は、それら楽曲の “情熱の赤” と異なり、限りなくピンクに近く感じるのは、作曲を手掛けた筒美京平の妙であることは言うまでもない。

そんなポップでふんわりした印象と、ファンシーなヤンキーテイストに相俟って、「マッチらしくない」という意外性が先行したのも確かなこと。当時にしては、初登場1位を逃し地味な印象の部類に入る楽曲だと思えたが、ロングセラーを記録。今改めて聴いてみると1982年という時代を映した鏡のような名曲に感じるのである。

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