与えたい「打席での勇気」 6年ぶりの現場復帰、谷佳知氏が伝えたい打撃の真髄

東芝のエグゼクティブ・ディレクターに就任した谷佳知氏【写真提供:東芝野球部】

東芝のエグゼクティブ・ディレクター就任、社会人野球は25年ぶり

2015年に現役を引退した谷佳知氏が2月1日に社会人野球の名門、東芝のエグゼクティブ・アドバイザーに就任した。元オリックス、巨人で活躍し、通算1928安打をマーク。巨人在籍7年間でリーグ優勝は5回。記憶に残る名打者が“臨時コーチ”として6年ぶりの現場復帰となる。伝えていきたい打撃の「真髄」があった。【楢崎豊】

ネット裏から各打者へ鋭い視線を送っていた。2月上旬の横浜市・東芝グラウンド。谷氏は静かに一人一人の打撃をチェックしていた。まだそんなに多くの言葉は選手にかけていない。じっくりと打者の特徴を掴んでいるようだった。

NPB球団が引退後の谷氏にコーチの打診をしたこともあった。だが、家族との時間を優先し、指導者になる道は進んでこなかった。今回の役職はチームにフルに帯同するのではなく、打撃部門の臨時コーチとなる。大会などではベンチに入ることはなく、外からチームの状況を確認する。

「ポテンシャルの高い選手が多くいますし、自分たちが社会人野球をやっていた頃に比べると、選手たちと話をしていても立派だし、考え方もしっかりしている。時代の変化を感じますね」

谷氏は尽誠学園、大商大から三菱自動車岡崎を経て、96年ドラフト2位でオリックスに入団。25年ぶりの社会人野球“復帰”となるが、当時とは情報の多さが違う。トレーニング方法から食事のことなど、今はインターネットで自分に適した情報が手に入る。

情報が飛び交う中で、谷氏が伝えていきたいことを問うと「打席の雰囲気を出させたい。投手が投げにくいな、って思うような打者になってほしい」と返ってきた。打席に立った時の迷いを消すということだった。

見るからに威圧感のある打者。とらえどころのない様子で構えをする打者……バッターのタイプは多岐に分かれる。現役時代の谷氏は甘い球はもちろん見逃さなかった。一方でボール球、難しい球でも、バットを出して懸命に拾った。巨人時代の2010年、親友・木村拓也氏の追悼試合で放った劇的アーチに印象が深いように、狙った球を強振してスタンドに放り込んだりもした。崩されそうになっても下半身で粘って打ち返した。投手からすると、どこに投げたらいいのかがわからない“雰囲気のある”打者だった。

それは練習や打席の内容から、醸し出すことができるという。バットの振り方、打ちに行くボールの選択、スイングした後の構え、振りのキレ……一つ一つの動作からそれは伝わる。

「泳いで打ってしまったり、自信がなさそうに振ってしまうことがあると思う。打席での不安を無くすことは大事なことです。甘い球を見逃してしまったり、ボール球を振ってしまうことが(昨年の東芝の選手には)あったように見えました。1球目から仕留められるように自信を持たせることができたら、打席に入るのが“楽しい”と思える。そういう心を持ってもらえるようにしたいですね」

谷佳知氏が与えたい「打席での勇気」とは【写真提供:東芝野球部】

雰囲気のある打者の礎となっているのが中西太氏からの言葉

打席に入った選手の後押しをすることが、自分に与えられた使命だと感じている。現役時代の2001年には52二塁打のシーズン記録をマーク、03年には189安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得。通算5度のベストナインに輝くなどの成績を収められたのは「ベンチが気持ちよく打席に入らせてくれたから」だと振り返る。

プロ1年目の1997年。監督は名将・仰木彬氏。1軍ヘッドコーチは野球殿堂入りを果たしている中西太氏だった。

「中西さんから『3球振ってこい』と言われて、思い切り振って、帰ってきた記憶があります。ベンチがそう言ってくれているので迷いなく振れますよね。結果が全てですけれど、頭の中が整理整頓できた状態で、また打席に立てるようにしてくださった。だんだん緊張しなくなりましたね。(指導者として)そういう風に打席に入れる勇気を与えたいなと思います」

この「勇気」が出るまでの過程は人それぞれで、簡単には手に入れられない打者の心構えだ。プロの選手の多くに備わっているが、谷氏は一人でも多くの東芝の選手に備わせたい、一緒に積み上げていきたいと願う。

「自信を持って打席に立つためには、狙い球を絞るのもその一つだし、状況を判断することも必要です。ベンチからエンドランのサインが出たからやる、のではなく、その打席に入る前に『エンドランがあるんじゃないか』と感じられるようになったり、状況を見てバッティングができようにしてあげたいですね」

それが積み重なったものが自信となって、打席での勇気に繋がる。そして、バッターの“雰囲気”ができあがる。

東芝は昨年の都市対抗野球で初戦敗退。2010年以来の日本一を目指し、打撃強化を託せるコーチを探していた。これまで谷氏と東芝野球部の接点はなかったが、関係者を通じて、打診を受けた。その強い思いに共感し、受諾。6年離れた野球の現場の空気、感覚をつかみたいという思いもあった。もちろん目指すのは、都市対抗野球の優勝だ。

「今の若い選手たちがどのような感覚で野球に取り組んでいるのか学びたいという思いもありました。自分が(三菱自動車岡崎で)やっていた頃を思い出しますね。どれだけ都市対抗野球のために力を注いだことか……。一発勝負の駆け引きはプロとは違った面白さがありましたから、応援も含めて、社会人野球には魅力がたくさんあります」

大学から社会人野球に身を置き、給料を初めてもらった時のことも忘れない。自分で何を買ったかは覚えていないが、親への感謝を改めて感じ、初任給の一部を少しだけ手渡した記憶は残っている。プロの世界で学んだ技術を後進に伝えていく時が来た。日本球界に名を残したレジェンドがこれから、社会人野球への感謝の思いも還元していく。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

© 株式会社Creative2