コンビニ閉店、工場撤退…寂れる沿岸や山間部 都市部と明暗、東日本大震災から10年の被災地

空き地が目立つ大槌駅前の通り=2月3日、岩手県大槌町

 東日本大震災の被災地の明暗がはっきりしてきた。震災前に比べて民営事業所数が大幅に増えた東北の中心都市である仙台市は活気づき、商店の廃業や工場の撤退が相次いだ岩手の三陸沿岸や福島の山間部は寂れる一方だ。震災から間もなく10年。産業復興は思うように進んでいない。(共同通信=栗原和大)

 ▽目立つ空き地

 当時の人口の約1割に当たる1286人が津波の犠牲になった岩手県大槌町。「震災前は駅前が一番にぎわっていた。食堂とかスナックとか、お店が道路沿いに隙間なくあったと思う」。三陸鉄道の大槌駅構内にある町観光交流協会の職員、小国夢夏さん(23)は中学生だった10年前の風景をおぼろげに覚えていた。

 国勢調査の経済版とされ、国内の全事業所数が把握できる政府の「経済センサス」によると、2009年に町内に770あった事業所は、19年には463になった。減少率は39・9%で、被害が大きかった岩手県内12市町村で最も高い。12市町村の合計では16・8%減。震災前より増えた市町村は一つもない。

プレハブ建ての家子不動産=2月3日、岩手県大槌町

 大槌駅近くの県道沿いは空き地が目立つ。プレハブ建ての不動産店を営む家子和男さん(71)は「後継者がいない商店主は震災でほとんどが商売をやめた。先が見えないのに、また一から始める気にならなかったのではないか。土地のかさ上げ工事の完了が遅れたのも一因だ」と話した。人口が多い隣の釜石市に移転した缶詰工場や水産加工会社もあるという。

東日本大震災と津波による大槌町の被害状況を説明する表示板=2月3日、岩手県大槌町

 町の人口はこの1年間で200人以上減った。町産業振興課の岡本克美課長(48)は「沿岸部は震災後に人口減のペースが速まった。なりわいの再生を目指してやってきたが、人口減に対応できていない」とこぼした。

 岩手県沿岸部には北から、久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田の5市があるが、最も人口が多い宮古でも5万人程度。大きな消費地がない。企業が岩手県に進出する場合、約30万人が住む盛岡市か、工業団地が整っている内陸の北上市を選ぶ―。沿岸部の産業復興が遅れる理由を、被災地の経済動向に詳しい七十七リサーチ&コンサルティング(仙台市)の田口庸友首席エコノミスト(46)は、こう解説する。

 ▽人口集中

 一方、宮城の15市町の事業所は合計で1・7%増えた。沿岸部の気仙沼市、石巻市、女川町、南三陸町などは大幅に減ったが、仙台市が11・7%も伸び、全体を押し上げた。

 震災後、復旧・復興工事を請け負おうと、全国から土木建設会社が被災地に進出した。その活動拠点が仙台市だった。帝国データバンク仙台支店の紺野啓二さん(57)は「13年前後は日本で仙台が最も活気があったのではないか」と話す。

 復興特需は既に去ったが、仙台市内ではコールセンターなどのサービス業が増え、人口は震災直前に比べ4万人強多い約109万人になった。

 紺野さんが予測する。「新型コロナウイルス感染が広がる首都圏での職探しをやめ、仙台で働こうと考える学生が増えるだろう。仙台市への人口集中は続く」

 ▽7割が避難中

 福島県飯舘村は第1原発の北西30~50キロの山間部にある。風に運ばれてきた放射性物質が降り注ぎ、全村避難を強いられた。大部分の地域は避難指示が解除されたが、21年1月1日時点で、住民登録している人の約7割に当たる3762人が村外に避難したままだ。

 19年の村内の事業所は89で、09年の約4割にとどまる。村商工会の経営指導員、茨木康志さん(46)は「年配の方は避難先から戻ってきているが、若い人がいない。村民がいないことには商売にならない」と語った。福島の15市町村合計の事業所数は11・8%減った。

県道沿いの空き店舗=1月28日、福島県飯舘村

 飯舘村を東西に貫く県道沿いは空き店舗が並ぶ。村内の道の駅に入居するセブン―イレブンのレジに並んでいた会社員村山翔太さん(32)は「村で買い物できるのはここだけ。食料品は東隣の南相馬市や西隣の川俣町のスーパーに車で行ってまとめ買いする人が多い」と説明した。もう1軒あったコンビニは20年に閉店したという。

 村は、主要産業である農業の再生をてこに、にぎわいを取り戻すことを目指している。産業振興課の村山宏行課長(54)は「将来は村民の6割ぐらいが戻ってくると信じたい」と話した。

© 一般社団法人共同通信社