ハーリー・レイス 馬場さんがただ一人一緒に飲んだ外国人選手

レイス(左)と馬場はNWA王座戦で激闘を繰り広げた(80年9月4日、佐賀スポーツセンター)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(66)が往年の名レスラーを語る連載「王道を彩った戦士たち」。今回はNWA世界ヘビー級王者として黄金時代を築き、全日本創設者のジャイアント馬場とも同王座を争った“美獣”ことハーリー・レイスの登場だ。

信頼は厚かった。馬場さんと外国人選手が飲んでいるのを見たのはレイスだけ。俺がまだ若造の時期、和歌山で日本人と外国人が同宿になった。そしたらレストランで馬場さんと元子さんとレイスが飲んでるんだ。我々も呼ばれ大宴会になり、レイスは何杯も生ビールを飲み干してダンスを踊っていた。粋だったね。

金遣いも豪快で稼いだだけ惜しみなく飲食につぎ込んでいた。NWA王者時代は、日本で週200万~300万円はもらっていたと思う。(スタン)ハンセンとかは節約するタイプだったけど、レイスは違った。豪遊だよ。

受け身は超一流。馬場さんに「今まで一番受け身がうまかった選手は?」と聞くと、真っ先に名前が出てきた。受け身が上手でケンカが強い。見せるための筋肉は彼に必要なかった。ダイビングヘッドバットだって飛ばなくていい。あのゴツい体でコーナーに上がって前に倒れればよかった。自分のダメージも相当だったと思うけど、説得力と威力は抜群だった。

通常、NWA王者が1週間以上も米国を空けるなんて絶対にあり得ない。全日本だから許されたんだろうし、本人も本部に「ミスター・ババとのビジネスだから」と申し出ていたと思う。

あんなゴツい顔してニックネームが美獣、イコールハンサムでしょ。俺は長い間「どこがハンサムなんだよ」って思っていたけど、要するにマインドの部分、品格や風格がハンサムという意味じゃないかな。それだけ貫禄に満ちていた。彼とリック・フレアーを最後にNWA王者は筋肉質になった。昭和的な最後のNWA王者だね。

レイスの話をするって言われて一番最初に思い出したのは、馬場さんが「京平、ハーリーに貸した金が戻ってこねえなあ」と言ってたこと。最前線を退いた後、地元の湖でボートの事故だかを起こして、その賠償金を貸してくれと国際電話で頼んできたらしい。本人は次に来日するときのギャラで返そうと思っていたようだけど、結局その後に日本に来ることはなく、借金は残ったまま。思い出したら笑ったよ。

1943年4月11日生まれ、ミズーリ州出身。60年にプロレスデビューし、73年5月に初戴冠したNWA世界ヘビー級王座を通算8度も獲得した。68年2月に日本プロレスに初来日。後に全日本プロレスの常連となり、ジャイアント馬場には2度、NWA王座を奪われた。95年の引退後はWLWを主宰し、ノアのGHC管理委員長を務めた。2004年にWWE殿堂入り。19年8月1日、肺がんによる合併症で死去した。得意技はダイビングヘッドバット。全盛時は185センチ、125キロ。

© 株式会社東京スポーツ新聞社