震災、コロナと経済苦、描けぬ未来  【揺れる世界、涙を拭いて】~トルコから

 東日本大震災から間もなく10年。東北各県の被災地が復興を模索し続ける間にも、世界各地で起きた震災が大きな爪痕を残した。被災者たちは、枯れることのない涙を拭い、コロナ禍の逆風にあえぎながらも再生の歩を進めている。トルコ、台湾、インドネシアの被災地の現状を3回に分けて紹介する。

 【トルコ東部地震:2011年10月23日午後1時40分ごろ M7・1】

  トルコ東部ワンでは11年10月と11月の地震で640人以上が死亡した。復興は表向き進んだが、経済苦境が続いている。遠隔の山岳地帯で失業率が高く、復興住宅のローン返済が被災者にのしかかる。新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけ、閉塞感が漂う。仕事がなく、未来が描けないと、住民は語った。取材できた数少ない明るい話題は、進出が相次ぐ繊維工場だった。関係者は笑顔で手応えを語り、将来の発展に視線を向けていた。記者が感じることができた小さな希望だった。(共同通信=橋本新治)

トルコ・ワンの中心部=1月(共同)

 ▽コンテナ仮設住居

 欧州に近いトルコ西部の大都市イスタンブールから飛行機で東へ2時間。イラン国境に近いワンを1月に訪ねた。国内最大のワン湖(琵琶湖の約5・5倍)の東岸に位置する。

ワン湖=1月

 湖面は標高1500メートルを超え、冬はいてつく寒さだ。ワン湖の島に残るアルメニア教会、左右の目の色が違うワン猫、チーズや養蜂業で知られるのどかな高山地域だ。

ワン猫の像=1月、トルコ・ワン(共同)、

 震災から9年以上が経過し、町は都市計画に基づき再建されていた。取材で出合った住民は、地震前よりインフラ整備は進んだと話していた。確かに町の中心部を歩いても目立った地震の爪痕は見当たらない。

 

しかし、いまだに当時建てられた仮設住居で暮らす人々がいると聞いて驚いた。空港そばの幹線道路沿いの広大な空き地に向かうと、七つの古びたコンテナが残っていた。それぞれトイレと狭いキッチンのほか、6畳ほどの居住スペースしかない。天井は腐敗が進み、床には水漏れの痕が広がる。今もここに30人近くが生活していた。

コンテナ仮設住宅=1月、トルコ・ワン(共同)

 エルハン・デミルハンさん(40)は母と2人暮らしだった。「月200リラ(約3000円)の家賃でさえ高すぎる。短期の仕事があっても、安定した収入がない。前から厳しかったが、新型コロナの影響でもっと厳しくなった。道の掃除でもゴミ収集でもどんな仕事でもやるのに、その仕事がない」と肩を落とす。母のアドゥルシャフさん(80)は「誰にも迷惑をかけず死に、幸せな来世を過ごしたい」と語った。

アドゥルシャフ・デミルハンさん=1月、トルコ・ワン(共同)

 ▽復興住宅のローン滞納

 整然と並ぶ復興住宅にも苦境は広がっていた。政府は2万7千戸の集合住宅「TOKI」を建設し、販売した。被災者は低価格で購入でき、入居2年はローン返済も猶予される。その後18年間かけて返済する仕組みだが、ワン商工会議所によると、滞納が全戸の8割に上るという。住居の貸し出しや売却が相次ぎ、被災者以外の住民が増えている。もともと入居していた被災者は物価の安い農村に引っ越したり、元の住居に戻ったりしているという。

 4人家族のギュルテキン・スメルさん(49)は2年間、ローンと管理費の月額計790リラ(約1万1千円)を払えていない。「(返済不要だった)最初の2年はよかったが、その後は苦しい。イスタンブールの人にとっては安いだろう。でもワンでは高い。金持ちは快適な生活を過ごしているが、私たちのような低・中所得者には厳しい」と力なく語った。督促状が届くが、これまでのところ退去は求められていない。エルジャン・オクスズさん(37)は「このままでは子どもたちの将来が見えない。被災者には建築関係の仕事しかなかったが、今はそれもなくなった。復興住宅の滞納はこれから大きな問題になるだろう」と語った。

集合住宅「TOKI」=1月、トルコ・ワン(共同)

 ▽生活を応援

 トルコ東部はイスタンブールに代表される西部に比べ開発が遅れ、東西格差は長年の問題だ。19年の政府統計によると、ワン周辺地域の失業率は25・9%で全国平均(13・7%)の倍近い。そこにコロナ不況が追い打ちをかけた。

ワン商工会議所のネクデット・タクバ代表=1月(共同)

 ワン商工会議所のネクデット・タクバ代表(51)は「町自体は再建した。ただ(復興事業を請け負う)建設業だけでは地元経済を持続可能なものにできない。生産を重視すべきだ。農業や製造業に投資されていれば、今は違った状況になっていただろう。民間だけでは解決できない。公的支援が必要だ。トルコの東西には深刻な経済格差がある。政府はこれを解消しなければならない」と訴えた。

 暗い話ばかりだったので、前向きな話題を探してみた。すると近年、震災前になかった繊維業の工場進出が相次ぎ、約20社に上ると知った。政府の優遇措置を受けられるほか、ワンの若い労働力が魅力で、イランへの輸出拠点としても注目されていた。郊外の工業団地を訪ねると、大手ブランドのズボン生産工場があった。米国で大ヒットしたポップソングが流れる広い場内で約300人が働いていた。現場責任者のデニズ・ムタフさん(40)は「私たちの成功にライバル会社も刺激されている。ワンで事業の拡大を計画している。積極的に前に進みたい。ワンに雇用を提供し、人々の生活を応援したい」と笑顔を見せた。

ズボン生産工場で働く女性ら=1月、トルコ・ワン(共同)

 ▽宮崎淳さん

 ワン地震で忘れてはならないのが、東京のNPO法人「難民を助ける会」職員、宮崎淳さん=当時(41)、大分市出身=が犠牲となったことだ。11年10月の地震で日本から支援に駆け付け、11月9日夜に起きたM5・6の地震で中心部の滞在先ホテルの倒壊に巻き込まれた。最初の地震でワン郊外に大きな被災が出たが、2度目の地震の被害は中心部にまで及んだ。トルコでは今でも「英雄」として語り継がれ、ワンには宮崎さんの名前が付けられた中学校や通り、胸像を設置する公園もある。

 小学生向けの小冊子「永遠のヒーロー」を制作した農業技術者の女性ドゥンヤ・カラクシュさん(33)は「誰かを助けるために人生をささげた宮崎さんのことを子どもたちにも知ってほしかった」と話していた。

左:小冊子「永遠のヒーロー」を持つドゥンヤ・カラクシュさん=1月、トルコ・ワン(共同)、右:宮崎さんの胸像

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