もどかしい「二月尽」

 心なしか、冬の終わりから初春にかけて時は足早に過ぎる。2月は日数が少ない。3月は年度末で慌ただしく、卒業や異動の季節でもある▲講談社版「日本大歳時記」に、2月の終わりを意味する「二月尽(じん)」という季語を見つけた。「二月果て」も同義で〈ほっとした安堵(あんど)の気持ちがにじみ出る〉ような季語だと、解説文にある▲何かしらほっとするのは、2月が果てて、尽きた先に春が待つからだろう。では、さらに先、夏の祭典がどうかといえば「ひたすら待ち遠しい」とは言いづらい。東京五輪の聖火リレーの新型コロナ対策がきのう発表された。出発まであと1カ月、各地の感染状況を見ながら方法を考えるという▲ランナーが聖火をつなぐ姿を思えば心弾む一方で、大会を運営する側の急ぎ足を見ると、「とにかくやる」方へと突き進んでいるように思えてくる。根強い慎重論、見直し論は脇に置かれていないか▲菅義偉首相は大会を「人類が新型コロナに打ち勝った証し」にするというが、今夏までに“闘い”が終わらないのは誰もが分かっている。コロナ禍に苦しむ人々は「打ち勝った証し」という勇み足の大義に首を振るばかりだろう▲なぜ開こうとするのか、誰かが真正面から語らねばなるまい。先が待ち遠しい二月尽なのに、せわしさ、もどかしさが際立つ。(徹)

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