<南風>空飛ぶ「おみやげ」

 子どもの頃、大空を飛ぶ飛行機を見つけると大きく手を振って、「おみやげ絶対買って来てね」と大声で叫ぶのが近所の子供たちの習慣だった。もちろん誰か知り合いが乗っているわけではない。
 1960年代の沖縄、僕の周りに誰も飛行機に乗った人はいなかった。頻繁に空を飛んでいたのもアメリカの軍用機だったかもしれない。飛行機に乗って海を超えてはるか遠くへ飛んで行くのは子供の夢だった。
 輸入民族雑貨の仕事を始めてからは、飛行機に頻繁に乗るようになった。インドやフィリピンの国際展示会、アジア各地の雑貨仕入れ旅で、大小さまざまな飛行機に乗ることができて面白い。お国柄で変わる機内の内装や備品、機内食なども楽しみだ。
 ある日、ミュンヘンにあるドイツ国立博物館を訪れた。全館をゆっくり見るつもりなら数日掛かるといわれる、ドイツ科学技術の歴史の神髄を見ることができる巨大な博物館だ。
 そこに展示された、現在飛んでいる飛行機の実物の断面を見て驚いた。機体の外側と内側を隔てる壁がとても薄いのだ。搭乗の際、何となく機体の厚みを目視で分かっていたつもりだったが、思っていたよりも心細くなるくらい外壁は薄かった。「知らぬが仏」である。気を取り直して館内を出た。搭乗する飛行機に絶対の信頼を置き、あとは自分の日頃の心掛けだと割り切った。
 輸入の仕事を辞めて乗る機会は減ったが、今も飛行機は大好きだ。雲間を抜け、着陸前に空から眺める異国の道や街の灯、これから出会う人々のことを思いながら降り立つ時のワクワクした気持ちはいつも新鮮だ。
 そして、空を見上げて手を振り、お土産を切望していたあの時の自分は今、孫に「おみやげ」を忘れずに買って帰る、大空を飛ぶ機上のおじいさんになった。
(根間辰哉、空想「標本箱」作家)

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