ソウル・ステーションとしてのアルバムが控えるポール・スタンレーとKISSの想い出を振り返って

福田一郎先生と筆者、ポール

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第45回。今回は、ソロ・プロジェクトであるソウル・ステーションとしての初のフルアルバムが2021年3月19日に発売となるKISSのポール・スタンレーについて。

<動画:ソウル・ステーション「O-O-H Child」ミュージックビデオ

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福田一郎先生と筆者

KISSのラスト・ツアーと題された『End of The Road Tour』の日本公演から約1年2ヶ月が経ちました。東京ドームには、まるで同窓会に参加するかのようなロック・ファンが集い、最後のお決まりのナンバーまで、一瞬足りとも見逃すことのないよう、”KISS ARMY”としての時間を楽しんでいました。考えてみれば、日本公演は終わってしまいましたが、このワールド・ツアーは、新型コロナウィルス感染のために、後半が延期となっています。つまりKISSはまだ終わっていない、完全に幕を下ろしていない、ということに気づきました。

世界を襲ったパンデミックによって、ライヴが封印されてから1年になります。明けない夜はないというけれど、音楽の世界の夜明けはいつになるのでしょうか? 私たちだけでなく、アーティストにとっても、夜明けが来る日が1日でも早く訪れることを祈るばかりでしょう。そこで思うのは、夜明けがやってきたその時、KISSは世界のファンに向けて、あらたな特別なものを届けてくれるのではないか、と期待が膨らむのです。

アーティストたちは、パンデミックによる静なる時間を創作活動に費やし、溢れんばかりのクリエイティヴィティを音楽に託しています。KISSのポール・スタンレーもそんなアーティストのひとりです。

2015年からサイドプロジェクト、ソウル・ステーションとして、自分が幼い頃に耳にしてきたフィリー・ソウル、モータウン・サウンドのカバーを演奏してきたポールですが、この期間に、カバーだけでなく、オリジナル楽曲も制作し、アルバム『Now And Then』をリリースすることが発表されました。

ポールといえば、1978年に『Paul Stanley』、2006年に『Live To Win』とソロ・アルバムを発表してきましたが、いずれもKISSのメンバーであるポールの姿勢を崩すことなく、ロック・ヴォーカリストとして、より幅を広げた歌を聴かせてくれました。セカンド・ソロ『Live To Win』の中の「Second To None」は、アコースティック・バラードでポップ色の強い名曲。こういったサウンドは、KISSのバラードとは一味違う印象を与え、ポールの世界観を広げたように思います。

2018年には、来日公演も果たしているポール・スタンレーズ・ソウル・ステーションは、これまでのKISSを離れたポールのソロ・プロジェクトに比べて、意外なものではありましたが、彼が少年だった頃は、ソウル・ミュージックが世に溢れ、名曲が次々と生まれ、世界中の音楽ファンにそのサウンドが愛されていた時代ですから、ソウル・ミュージックが、ポール・スタンレーというアーティストの根底に流れる音楽の血となったことは確かです。

そしてポールの最大の魅力は、なんと言ってもセクシーな声質にあります。この特別な声は、ロックを歌っても、ソウル・ナンバーを歌っても、魔法のように楽曲を光らせるエネルギーを持っています。ブラス・セクションが入った「O-O-H-Child」を聴くと、シンガー、ポール・スタンレーの今だからこそ光る歌声に聴こえます。ソウル・ステーションは、ポール自身が今こそやるべき音楽だと確信して生まれたプロジェクトなのでしょう。

以前、KISSが仮面を脱いだ80年代に、ロンドン・ウェンブリー・アリーナでの公演を見ました。それまで、仮面があったからこそKISSの公演は楽しかった、という私のKISSに対する概念を見事に覆す素晴らしいショウだったのを覚えています。KISSの魅力は、ド派手なパフォーマンスにあると言われていますが、もちろんそれも大きな要素ですが、楽曲が素晴らしい、と改めて感じたライヴでした。もしかしたら、ポールのソウル・ミュージックとの出会いは、良い音楽、多くの人に愛される音楽、楽曲を作るということをKISSとして開花させ、それがKISSサウンドの魅力となったのかもしれません。

ポールは、華やかなロック・シンガーです。”The Starchild”のメイクを施したルックスでも、その美しさがキラキラしていました。私には少し眩しすぎるぐらい。素顔を明かさない時期に、ニューヨークのホテルのロビーで見かけた時も、美しい人だな、とドキドキしたものです。そこでジーン・シモンズが歩いていてもわからなかったかもしれません。ミュージカル「オペラ座の怪人」のオーディションを受け、トロント公演に出演したり、サラ・ブライトマンとデュエットしたり、また画家としても個展を開いたり、ポールは、芸術に対しての意欲が高い、まさにアーティストです。そんな彼の新しい世界の扉が今開き、ファンに届けられるのです。

ここまで書いて言うのもなんですが、私はジーン・シモンズのファンです。高校時代、3歳離れた妹と、当時の3大ロック・バンドと言われたクイーン、KISS、エアロスミスの大ファンになり、レコードを買う時は、担当制にしていました。お小遣いで全作品を一人で買うことはできませんから。

KISSの4人が同時にソロを出した時は大変で、私はジーン、エース、妹はポール、クリスを買い、3ヶ月分のお小遣いを前借りし、分担して買い揃えました。妹は、華やかなアーティストが好きで、クイーンならロジャー、KISSはポール、エアロスミスはジョー、私はフレディ、ジーン、スティーヴン。見事に分かれたので、喧嘩もせずに音楽を楽しめました。これ大事!(当時、私の好みに関して、学校の音楽ファンからうすら笑いを浮かべられていました)。

ちなみに、クイーンの『A Day at the Races(華麗なるレース)』は、姉妹ともに自分所有にしたくて、一家に2枚ありました。喧嘩の種はそんな些細なことでした。KISSの思い出話としては、KISS 2度目の来日公演の時には、人形を作って参加。なぜ人形を持っていったのか? あまり覚えていません。人形を作るんだ、と意気込んだことだけは覚えています。そしてチケットを買うために、当時のウドー音楽事務所に並び、一晩明かしたのもいい思い出です。

実は、ポール・スタンレーには、インタビューをしたことはないのですが、ビジネスマンとして来日した時に、ジーン・シモンズにはインタビューをさせていただきました。芸術家のポールに対して、ジーンは予想通り、ハッキリものを言う社長気質。インタビュー後に「憧れの人、3人にインタビューすることができて、私の夢は叶いました。」とドキドキしながら言うと、「他の2人は誰だ?」と追求され、その上「夢はね、もっと大きくもったほうがいい」と妙な励ましを受け、素顔も迫力あるジーンですから、私は子供のように「はい」と答えて帰ってきました。きっとポールなら、「夢が叶ってよかったね」とキラキラな笑顔で答えてくれたかもしれません(笑)。

Written by 今泉圭姫子


ポール・スタンレーズ・ソウル・ステーション『Now And Then』
2021年3月19日発売

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