初めて明かした17歳の心情 小崎さん“最後”の語り部活動を病院から 被爆当時を振り返る 長崎平和推進協会職員研修

長崎平和推進協会の職員向けにオンラインで被爆当時の心情を打ち明ける小崎さん=長崎市平和会館

 1月に膵臓(すいぞう)がんが発覚し長崎市内の病院のホスピスで暮らしているカトリック修道士で被爆者の小崎登明さん(92)が25日、長崎平和推進協会の職員研修でオンライン講話をした。「私の語り部の最後の日だと思っている。本当の心情を初めて語る」。17歳だった原爆投下当日の気持ちを振り返った。
 小崎さんは長崎市の三菱長崎兵器製作所の住吉トンネル工場で被爆。トンネル内にいたため助かったが、爆心地から500メートルの岡町の自宅にいた母親は、遺体も見つからなかった。
 その後、聖母の騎士修道院に入り、修道士になった。1994年から2007年まで長崎平和推進協会の継承部会に所属。語り部として修学旅行生らに被爆体験や平和の大切さを伝えてきた。
 この日、小崎さんは鮮明に心に刻まれた記憶を丁寧に伝えた。13歳のころから2年間は骨の病気で寝たきりだった。当時、兵器を製作する機械は空襲で破壊されると造れないが、人の代わりはいると言われ、人命は軽視されていたという。
 原爆投下後、トンネル工場を出ると景色は激変し衝撃を受けた。浦上川では多くの遺体を目にし、小さな子どもから助けを求められても助けられなかった。
 これまで被爆体験講話で一度も触れてこなかった複雑な心情も吐露した。
 原爆投下の数日前に自分に暴力を振るった先輩が大けがをして苦しむ姿に「いい気味だ」と思った。
 焼け野原となった長崎を一人歩きながら「優越感というか、エリート意識が湧いてきた。自分でもなぜそんな気持ちになったか分からない。目の前でたくさんの人が死んでいるのに」と涙ながらに語った。
 被爆者の心を研究する原爆心理学の必要性も指摘。「そうしないと、また戦争は起こる」と警鐘を鳴らした。
 研修は小崎さんの意向で元職員や知人も聴講した。職員の中村綾花さん(25)は「罪悪感やトラウマ(心的外傷)のことは、自分を嫌いになってしまいそうで、話しづらいこと。病気で苦しい中、託していただいた思いを、次につなげていきたい」と述べた。

 


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