1999年2月21日伝説の引退試合 前田日明氏 霊長類最強・カレリンは“宇宙恐竜”ゼットン

カレリンに体重をかけられ前田氏の苦悶の表情がすべてを物語る

【ルックバック あの出来事を再検証(3)後編】「格闘王」こと前田日明氏は1999年2月21日の引退試合で“元祖・霊長類最強の男”アレクサンダー・カレリン(ロシア)に敗れてリングを去ったが、そこに悔いはなかった。自身の敗北をもって、リングスが標榜する「世界最強の男」の姿を世界中に発信することに成功したからだ。誰もが驚いた世紀の大一番から22年。連載「ルックバック」第3回後編、前田氏はカレリンの規格外の強さを回顧するとともに、現在の格闘技界に激烈なメッセージを送った。

グレコローマン130キロ級で五輪3連覇を達成したカレリンはレスリング史上最強のファイター。当時40歳の前田氏には勝ち目はないとみられていた。これまでのダメージが肉体に蓄積し、左のキックは満足に使えない。テーマは2つ。「勝てないまでもタックルでテークダウンする。一本を取る」。これができれば一生の誇りになる。だが1ラウンド(R)序盤、ローキックから試みた最初のタックルで、カレリンの恐怖を肌で感じることになる。

前田氏(以下前田)倒してやろうと思って組んでも、全然動かなくて。「あれっ?」て思ったら手が回ってきてさ、ブンって(振り回されて)足まで上がったんだよ。その瞬間、首がバキバキって鳴っておかしくなった。カレリンはゴリラですよ、本当に。岩に手足がついてるみたいな感じだよ。

格闘王にも意地がある。グラウンドで足を取るとアンクルホールドで値千金のエスケープポイントを奪取。「ああ、1本勝負にしてたら俺の勝ちやったのに」と悔いた前田氏だが、目標としていた「一本」は取れた。カレリンが2000年シドニー五輪で銀メダルに終わったこともあり「何で4連覇できなかったか知ってるか? 俺が足決めたったからやんけ」と、笑みを浮かべる。

しかし、これがカレリンの闘志に火をつけてしまった。一気に間合いを詰められて打撃に対応されると、代名詞の「カレリンズリフト」(俵返し)が炸裂。超人的なパワーで格闘王は圧倒された。

前田 なんだこのクラッチはって。こんな強いクラッチがこの世にあるんかって思ってさ。ブチュッと切られそうな感じ。後半はプレッシャーがすごかったね。必ず首を中心に体重をかけてきて。俺が尻もちついて、体重を乗せられたときは首が折れるかと思ったよ。

2Rに裸絞めに捕らえたが、130キロの筋肉の塊は肩が異常に盛り上がっていて決めきれない。最大のチャンスを逃すと、再び怪力によって投げられ、潰され、押さえ込まれる。ケサ固めで2度エスケープを奪われ逆転を許し、最後はネックロックに捕らえられた状態で試合終了のゴングを聞いた。小学生のころに打倒“宇宙恐竜”ゼットンを夢見て少林寺拳法を習い始めた男は、ウルトラマン同様に最後の戦いで最強の敵に敗北を喫した。

前田 試合後はもう…やれやれだよね。えらい相手と戦ってしまったって(笑い)。カレリンはゼットンですよ、本当に。改めて振り返ると、本当に人間の能力の世界トップをいく人間に、自分を試験紙にして触れてみてというか「人類のトップ」っていうものを肌で感じた瞬間だったね。格闘技やっててよかった? そうだね、そういうことだね。

敗れたとはいえ、確かな満足感があった。自身をフィルターに「霊長類最強の男」の強さを世界中に発信。リングスの精神を体現できたのだ。もし当時のカレリンが本格的な準備をして総合格闘技(MMA)に転向していたら「誰も何もできなかったでしょ」と前田氏は断言する。

月日はたち、MMAの競技自体は世間に浸透した。その一方で、前田氏は今の格闘界はスケール感に乏しいと指摘する。近年の日本マットに上がった超大物はボクシング元世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザーが記憶に新しいが、引退したボクサーのエキシビションマッチにすぎなかった。

前田 もっと一本取ったり、KO取ることを目指してほしい。でないと、自分たちの世界に明日はないよ。日本みたいな小さな国で競技人口も知れてる。そんな世界で判定勝ちにいくなんてお門違いですよ。しゃべることにしたって「今回の抱負は」「頑張ります」とかアホかって。注目を集めるための会話の技術はいくらでもあるでしょ。ボクシングみたいに誰もが認める歴史とステータスを得たんだったら(WBAスーパー&IBF世界バンタム級統一王者)井上(尚弥)みたいに何も言わなくたっていいんだよ。井上はボクシング100年以上の歴史の中での天才だから。総合に天才なんて誰もおらへんやないか。

MMAが普及した現状に甘んじることなく、世間に届く試合を心がけてもらいたいというのが前田氏の願いだ。「その積み重ねがビッグマッチになるし、リングから発してるエネルギーも違ってくる。エネルギーが違うから、引きつける人間の数も変わってくるんだよ」。22年の時がたった今でも、前田VSカレリン「世紀の一戦」は、色あせることのないロマンとともに格闘技史の1ページに刻まれている。(終わり)

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