右翼と官憲に踏みにじられた初の女性デー

理想求め続けた女性に学べ

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江刺昭子

女性史研究者

江刺昭子

女性史研究者

えさし・あきこ 広島市出身、早大卒。原爆作家・大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」で田村俊子賞。著書に「女のくせに 草分けの女性新聞記者たち」「樺美智子 聖少女伝説」など多数。

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 森喜朗氏の性差別発言に始まった騒動は、東京五輪・パラリンピック組織委員会の新会長に橋本聖子氏が就任して、ひとまず沈静化した。東京都知事は小池百合子氏、政府の五輪担当相は丸川珠代氏と、五輪トップの3人が女性となって、さらに、組織委理事に占める女性の割合を、現状の2割(35人中7人)から4割以上に増やすという。

男女共同参画担当相となった丸川珠代氏。菅首相と並んで撮影に応じた=2月18日、首相官邸

 ところが早くも、ほころびが出た。男女共同参画相を兼ねる丸川珠代氏が、自民党国会議員有志と連名で、自民党所属の県議会議長らに宛てて、選択的夫婦別姓制度導入に賛同する意見書を採択しないよう求める文書を送っていたことが明るみに出た。言論弾圧ともいえる行為であり、男女平等にも背を向けている。こんな人が男女共同参画担当相の椅子に座っていていいのだろうか。(女性史研究者・江刺昭子)

 一連の騒動で問われているのは、スポーツ界だけではなく、日本社会全体のジェンダー後進性である。それなのに、と絶句する。

 諸外国に比べジェンダー格差が甚だしい日本が、真の意味でのジェンダーレスな社会へと歩みを進める契機の一つは、まもなく訪れる3月8日の国際女性デーだ。近年は、この日に合わせて各地でさまざまな催しが行われてきたが、残念なことに、コロナ禍で去年に続いて今年も、予定されていた多くの行事が中止になったり、オンライン開催になったりしている。

国際女性デーを前に、メディア業界の労働組合が開催した「男性目線偏重」を考えるシンポジウム=27日午後、東京都内(日本マスコミ文化情報労組会議提供)

 国際女性デーは、国連が定めた日であり、多くの国でセレモニーが行われている。女性解放と世界平和をめざし、グローバルな連帯を求める日である。しかし、なぜ3月8日なのか、日本ではいつから行われてきたのか、あまり知られていない。由来と歩みをたどりながら、女性デーの意義を考えてみたい。

 国際女性デーの起源は、20世紀初頭にさかのぼる。アメリカ社会党の女性たちが1904年8月、女性参政権の決議をしたのがきっかけ。1910年、コペンハーゲンで開かれた第2回国際社会主義女性会議で、ドイツの女性解放運動指導者、クララ・ツェトキンが、女性の政治的自由と平等のために闘う「国際女性デー」を提唱。世界で統一して3月8日に行うことになったのは21年の第2回国際共産主義女性会議(モスクワ)である。

 東京で初めて記念日の催しが開かれたのは、23年だった。日本における国際女性デーの始まりがほぼ100年前であるのに、今なお、ジェンダー格差が世界最悪であることは、この国の女性たちがいかに、いばらの道を歩んできたかを端的に物語る。

 当時、日本の社会主義運動は政府による弾圧の対象だったが、社会主義フェミニスト山川菊栄のもとには、女性解放を希求する若い女性たちが集まっていた。記念講演会の準備を進め、中心となったのは、この「八日会」の女性たちである。

山川菊栄

 その中には、21年に女性社会主義グループとして初めてメーデーに参加した赤瀾会(せきらんかい、「瀾」は波の意)の元メンバーがいた。赤瀾会は弾圧を受け、結成から1年足らずで解散していた。東京女子医学専門学校(現・東京女子医大)の社会問題研究グループの学生たちや女性労働運動家らも合流していた。

 記念の講演会は、フランス文学者・小牧近江(こまきおうみ)らの「種蒔き社」に頼んで、種蒔き社主催として、文学運動を装った。

 23年3月8日、会場の神田基督教青年会館に人びとが集まり始めたところ、警察の圧力で突然、会場費の前払いを要求される。慌てて種蒔き社を支援していた麹町の有島武郎宅に人力車を走らせたところ、有島が財布ごと渡してくれたという。この頃の有島は社会主義に理解を示し、所有する農場を小作人に開放していた。記念講演会が開催できたことを喜んだが、3カ月後の6月、軽井沢の別荘で波多野秋子と心中して果てた。

 ようやく開会にこぎつけたが、会場にはサーベルをぶらさげた警察官の姿が目立ち、右翼(赤化防止団)も混じっていた。弁士は女性ばかり8人。赤瀾会にいた矢部初子が、開会挨拶で国際女性デーの意義を述べ、続いて「婦人の職業生活の可否」と題する金子ひろ子の演説のさなかに混乱が起きる。『東京日日新聞』の報道によれば次のような状況だった。

 金子が「婉曲にブルジョアを攻撃しプロレタリアを讃美しているまでは場内水を打ったように静寂であったが『共産主義のロシアの婦人は…』とそろそろ本音を吐き出し」たとたん、赤化防止団の男が「労農ロシアは婦人を共有にしたではないか」と言ったので、壇上の金子も負けていず、「あなた等は演説会をこわしに来たのですか」とやりかえす。

 赤化防止団の一人が「うそつけ!」と怒鳴り、横にいた「主義者」(筆者注・社会主義者や共産主義者らのこと)と格闘が始まり、「場内総立ちとなるや『待っていました』とばかり警官が『解散!』の声もろともドヤドヤ踏み込んで手当り次第聴衆を突き飛ばすように場外に押し出し文句をいうものは片っ端から検束して日本最初の国際婦人デーは開会後僅に30分7時30分混乱裡に解散」させられ、あとの弁士たちは演説できなかった。

 以後、敗戦までの記念日に活動家たちの小規模な集まりはあったが、表立った動きはできなかった。

 日本初の女性デーで熱弁をふるった金子ひろ子は偽名で、本名は佐々木晴子。女子医専を卒業したばかりだったが、演説会のあとは官憲につきまとわれ、運動と距離を置いた。仲間との音信も断ち、横浜市鶴見区で内科と小児科を開業する。

東京女子医専卒業時の佐々木晴子

 戦後は「戦争未亡人」の会を立ち上げ、困窮している母子を救済する道をひらき、子ども図書館も設立した。70歳まで自転車で患者の家を往診して「町のお医者さん」として慕われた。国際女性デーと関わり続けたわけではないが、地域の現場で若き日の理想を追い求め、着実に実践した。

 五輪の顔となった3人の女性にもぜひ、佐々木晴子の静かな“闘い”を知り、学んでほしい。

【注】国際女性デーの歴史については、伊藤セツ著『国際女性デーは大河のように』(2019年増補版)に多くを依拠した。

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