ジェネイ・アイコとは? ディズニー映画『ラーヤと龍の王国』サントラに抜擢された日系R&Bアーティストの軌跡

Photo: Courtesy of Def Jam Records

2021年3月5日から映画館とディズニープラス プレミア アクセスにて同時公開となるディズニー映画最新作『ラーヤと龍の王国』(原題:Raya and the Last Dragon)。

この映画のエンドソング「Lead The Way」の作詞・作曲・歌唱を担当することになったジェネイ・アイコ(Jhené Aiko)について、ライター/翻訳家である池城美菜子さんに解説いただきました。

<リリックビデオ:Jhené Aiko - Lead the Way (From "Raya and the Last Dragon")
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休み時間に教室の窓際で詩を書いている、少しミステリアスな女の子。クラスの一軍女子にはけっして加わらないけれど、高校生でもう外の世界を知っていそうな不思議な存在感があって、男子生徒たちは密かに、すごくかわいいと思っている。これが、3作目『Chilombo』で今年3月に行われる第63回グラミー賞アルバム・オブ・ジ・イヤーのノミネーションを受けているジェネイ・アイコの、ヒップホップ・カルチャーにおける立ち位置だ。

 

ジェネイ・アイコの生い立ち

本稿は、「ジェネイ・アイコって誰?」という、たまたま、いままで彼女と縁がなかった人にもわかりやすく紹介する記事なので、まず基本情報から。彼女は生まれも育ちもLAのシンガーソング・ライター、詩人である。本名はジェネイ・アイコ・エフル・キロンボであり、母方の祖父が日本からの移民。お母さんのクリスティーナ・ヤマモトさんはドミニカと日本の、父のカラモ・キロンボさんはネイティヴ・アメリカン、黒人、ドイツ系ユダヤ人のミックスである。「LAでこういう見た目だと、まずラティーノだと思われる」とインタビューでジェネイ・アイコは答えているが、実際のところ、彼女は人種的にほぼ「すべて」なのだ。

ミドルネームでもある「アイコ」は「愛子」なので、親近感アップを狙って“アイコ”呼びで進める。LA育ちの日系人であることと、お父さんがアーティスト肌の、外見から判断するにヒッピーっぽい人であるのは彼女の人格形成、ひいては音楽性と大きく関わっている。

最初に「高校生」の設定でたとえを出したが、小・中学校はホームスクーリング(家でカリキュラムをこなす学習方法)であり、両親の離婚と7才のときに住んでいた家が全焼する経験をしている。可憐なソプラノ・ヴォイスと、157センチとアメリカ人にしては小柄な体躯からは想像しづらいが、アイコは少なくとも平均的なアラサー女性の1.5倍の人生経験を積んでいる。

彼女は、5人兄弟の末っ子である。父がガレージを改造してホームスタジオを作ったほどのアーティスト志望だったそうで、ミヤコ、ミラ・J(本名はジャミラ・アキコ)、ジャヒ、ミヤビのうち、姉ふたりはクリス・ストークスのもとでガール・グループとしてデビュー。2003年に、ミラ・Jはモータウンと契約、ソロ・デビューを果たしている。ストークスは、イマチュアやB2Kなど90年代から00年代前半にかけて、ティーン・スターのプロデューサーとして一時代を築いた人だ。まず、姉ふたりがクリスと組んだ縁で、新人を発掘するタレント・ショーで優勝したアイコも、デビューへの道が開ける。

当初はB2Kのメンバー、リル・フイズのいとこという設定で、実際に筆者もB2Kのインタビューをした際、「日本人の血が入っている妹分がいるんだ」と、オマリオンから言われた。B2Kの「Why I Love You」などのビデオで13才前後のアイコが見られるので、気になった人はぜひ。

 

白紙になったデビュー、妊娠、シングル・マザー

シングル「No L.O.V.E.」を2003年、15歳でリリースしたのち、エピック・ソニーからの『My Name is Jhene』でデビューが決まっていたものの、B2Kが人気絶頂で解散したあおりを喰ったようで、お蔵入りに。高校での勉強を優先させるために契約を自ら打ち切ったというから、実年齢よりずっとしっかりした女性である。

10代後半をオマリオンの弟で、シンガーでもあったオライアンと交際しながらヴォーカルのトレーニングを積んでいたアイコに、思わぬ転機が訪れる。20才で妊娠したのである。オライアンとの関係は終わっていたものの、自分で育てる決心をする。ナミコと名付けた娘を抱え、ヴィーガン・カフェで働きながらミックステープの制作に取り掛かったというから、壮絶だ。「プライベートでいろいろありすぎて、次から次へと曲ができた」と本人が話すように、彼女は実生活にドラマティックなほどクリエイティビティを発揮するタイプのようで、9カ月で仕上がったそう。

ミックステープで掴んだメジャー契約と兄の死

2011年にフリー・ダウンロードでドロップされた『Sailing Soul(s)』は、カニエ・ウェスト、ミゲル、ドレイク、ケンドリック・ラマー、グッチ・メインと、2021年にふり返るととんでもなく豪華なゲストが参加しており、アイコの引きの強さ、業界内の期待値の高さが伺える。この時点で、彼女のメイン・プロデューサーである、ふたり組のフィスティカフス(Fisticuffs)と、『Chilombo』まで続くスタイルをほぼ確立している。フィスティカフスは、楽器の音色を大事にしながら音を重ねる繊細なプロダクションで知られ、ほかにはミゲルとヒット曲を作っている。

ミックステープで評判をとってレコード会社との契約につなげるのは、ヒップホップで多く見られる手法だ。『Sailing Soul(s)』をきっかけに、ジェネイ・アイコ争奪戦が勃発。2012年、アイコはカニエ・ウェストの師匠としても知られるNo I.D.と出会い、デフ・ジャム傘下の彼のレーベル、アーティウム・レコーズと契約する。プロデューサーとしてNo I.D.は自分のスタイルを死守するタイプであり、フィスティカフスとともにアイコの音楽に関わりつつ、彼女のスタイルを尊重したのは、彼女にとってもファンにとってもラッキーであった。

これは、最初の白紙となったソニーとの契約をふり返って、「ほかの人が書いた歌詞を歌わされていた」とコメントした彼女にも大事なポイントだったはずだ。ちなみに、アイコは自己紹介する際、シンガーより先に「ライター」を名乗る。だが、順調な船出になりそうだった2012年、アイコは人生を変える悲劇に見舞われる。兄のミヤビが悪性の脳腫瘍で、26才の若さで亡くなったのだ。「ほかの兄弟は仕事を辞めてまで兄が病床についていたけれど、私は現実を受け入れられなくて音楽制作に逃げた」と、アイコはインタビューで答えている。

 

メジャー・デビュー、癒しと逃避の音楽へ

2013年、『Sailing Soul(s)』の延長線上にあるEP『Sail Out』で、メジャー・デビューを果たす。EPのリード・シングル「Bed Peace」では、チャイルディッシュ・ガンビーノを招いた。これは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの1969年の平和活動パフォーマンス、7日間のベッドインからインスピレーションを受けた曲で、ふたりがジョンとヨーコになりきったミュージック・ビデオで話題になった。アイコの理想のカップルはジョンとヨーコであり、また、世界平和を推進したミュージシャンとしてジョン・レノンに影響を受けたのが、ビデオを作る動機だったという。アイコの着眼点とセンスは、彼女自身のポテンシャルを示すとともに新しいR&Bの到来を告げ、EPだったにもかかわらず、2015年のグラミー賞のベストR&B・アルバムを含め、アイコは3つのノミネーションを受ける。

翌年、『Souled Out』でアルバム・デビュー。傷心の女性が立ち直る過程を描いたコンセプト・アルバムで、フランク・オーシャンやミゲル、FKAツィッグスらと一緒に、「オルタナR&B」にカテゴライズされるようになる。

私生活では、キッド・カディの盟友、ドット・ダ・ジーニアスと婚姻関係にあったが、アイコ曰くジーニアスはその前の結婚が完全に終わっていなかったのため、問題が多かったそう。2013年に「Beware」のレコーディングで出会ったビッグ・ショーンとNBAの試合観戦に行き、噂になった。

2016年は、ショーンとのユニット・プロジェクト、Twenty88名義でアルバムをリリースして成功させる。ビッグ・ショーンはその前年までアリアナ・グランデと交際しており、交際期間とTwenty88の制作時期と被っていた可能性もあったため、ゴシップ好きはジェネイ・アイコアvsアリアナ・グランデという対立構図を囁き始め、現在に至る。

兄ミヤビの死は、ジェネイ・アイコの人生に大きく影を落とし、以前にも増して彼女の音楽には、癒しと逃避が混在するようになる。ヒッピー文化からつながるスピリチュアルな生活様式を重視するカリフォルニアンらしく、アイコはシンギング・ボウル、タイダイのTシャツ、タトゥー、パワーストーンなどを偏愛し、パフォーマンスに取り入れる。そして、ドラッグ。2017年のセカンド・アルバム『Trip』は、マジックマッシュルームや大麻、抗鬱剤などを使用しながら、精神的に、肉体的に「トリップ」する様子を曲にしたコンセプト・アルバムだ。2曲目の「Jukai」は富士の樹海であり、自殺が頭に過るラインまである。だが、『Trip』はけっして嘆き哀しむだけの暗い作品ではない。

アルバムのリリースに先駆けて発表された、ショート・ムーヴィー「Trip」は、ぜひ見てほしい。そこには、詩作や小旅行、アヴァンチュール、マジックマッシュルームなどをちりばめながら、兄の死から立ち直ろうともがく彼女の姿が映っている。

アイコの特異性は、音楽ジャンルとしてはR&Bのメインフォースでありながら、フリースタイルで曲を作ったり、「いい子」であるのをやめて自分に正直に生きていたりと、生き方や精神性においては、ヒップホップ・アーティストに近く、それがゆえ、ラッパーたちに愛される。一番、影響を受けたアーティストとしてあげる2パック同様、詩人とギャングスターの精神が彼女のなかに巣食っているのだ。

ミックステープを制作していた時期からケンドリック・ラマーやアブ・ソウルなど、トップ・ドゥグ・エンターテイメントと近い関係を築き、『Trip』の「Never Call Me」で元ドッグ・パウンドのコラプトを招くあたり、彼女はその点を自覚している。このビデオの「フッド・ヴァージョン」で故ニプシー・ハッスルが登場するのは、彼がレペゼンするクレンショーの隣、スローソン・アベニュー沿いのヴュー・パークでアイコが育っているから。地元の仲間であるニプシーとは、「Woke Alone」で共演しているだけでなく、彼が亡くなった際は葬儀で「Eternal Sunshine」を歌い上げたほか、YG、スクール・ボーイQらと同様、追悼の意を表すために新曲のリリースを延期している。

 

アリアナ・グランデも敵わない

つまり、「ビッグ・ショーンの彼女」との肩書きだけでなく、アイコはヒップホップ・カルチャーの中心に特別な居場所をもっているR&Bアーティストなのである。「LAは陽当たりがいい分、シェイディな(=裏がある人)が多いの」と語るアイコの人生観は、ラッパーのそれである。

2019年のアリアナ・グランデ「Break Up With Your Boyfriend」は、ビッグ・ショーンと破局したらしいアイコにたいするあてつけ、と取っている人は多い。一方、アイコは「None of Your Concern」で、「いろいろ耳にも目にも入っている どうやら心変わりしたみたいね ミス・リトル・シング(thingとsingの掛け合わせ)と目立つ場所に行ったでしょ いやまじで彼女は私と争わないほうがいいよ」と歌っている。たしかに、子役上がりの歌姫であるアリアナは、本物のストリート性を秘めているアイコと口喧嘩をしても敵わない気がする。

そして、『Chilombo』。ラストネームを冠した最新作で、ジェネイ・アイコは自分自身の多面性、アーティストとしての多様性を余すところなく見せつけてきた。最新のインタビューで、「ずっと学んできたサウンドヒーリングの手法を、すべての曲にも取り入れているんです」と発言。その言葉通り、カースワード(罵り言葉)を使いながらも、3作目全体が癒しの精神を湛えている。

敬愛するアリーヤとブランディの系譜にいる、コントロールが効いたウィスパー唱法を昇華させつつ、エンターテイメント業界の常識に屈せず、自分のスタイルを貫くアイコ。自分の脆さを全力で武器にするジェネイ・アイコは、アーティストであり、スピリチュアル・ヒーラーなのである。

最新ニュースとしては、ディズニー映画最新作『ラーヤと龍の王国』で、エンドソング「Lead the Way」を担当。「建て直すか破壊するか / 争うか力を合わせるのか / 選択は私たち次第」と歌いだすリリックも彼女らしい。「クマンドラ」という架空の世界が舞台だが、東南アジア諸国の文化を取り入れ、主人公のラーヤをはじめとして登場人物がアジア系であるのは一目瞭然。声優陣もアジア系でそろえているから、日本にルーツを持つアイコはエンドソングにぴったりである。2021年は、ジェネイ・アイコの名前をいままで以上に耳にする年になりそうだ。

Written By 池城 美菜子


『ラーヤと龍の王国 オリジナル・サウンドトラック』
2021年2月26日配信
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《映画情報》

ディズニー映画最新作『ラーヤと龍の王国』

3月5日(金)映画館 / ディズニープラス プレミア アクセス同時公開

『アナと雪の女王』のディズニー最新作は、<邪悪な魔物>によって“信じあう心”を失った<龍の王国>をめぐる、壮大なスペクタクル・ファンタジー。自分だけを信じ、ひとりぼっちで生きてきた王国の“最後の希望”ラーヤは、伝説の“最後の龍”の魔法を蘇らせ、仲間を信じることで、世界を取り戻すことができるのか?

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