安藤美姫が語る震災の記憶と父の死「たくさん泣いたけど悲しいことだけじゃない」

チャリティー用に制作した造花を手にする安藤

フィギュアスケートの元世界女王が歩んだ波瀾万丈のスケート人生とは――。2011年3月11日に発生した東日本大震災の直後の4月、ロシア・モスクワで開催された世界選手権で安藤美姫が2度目の優勝を果たし、日本を勇気づけた。33歳となった元女王が劇的Vの舞台裏とともに心に刻まれた幼きころの父の死、震災と向き合った当時の心境を告白。あれから10年の節目を迎えた今、改めて胸中に迫った。

――震災の瞬間、どこで何をしていたのか

安藤 福岡で(コーチの)ニコライ(モロゾフ氏)のチームの仲間と練習していました。地震の揺れは全くなかったけど、控室のテレビをつけたら津波の映像が流れて…。まるでニューヨークの9・11(同時多発テロ)のような衝撃。「これが日本なのか」と信じられませんでした。一緒にいた海外の選手は「国に帰りたい」と慌て、私は飛行機の手配をしたり、福岡に来る途中の新幹線で缶詰めになった選手を助けるために駅長さんと電話したり…。もうパニックでした。

――世界選手権の開催地は日本からモスクワに変更となった

安藤 複雑でしたね。中京大で練習していましたが、全く身が入らない。棄権しようかとも考えましたが、被災地の方から大学に何通も手紙が届いたんです。「テレビで美姫ちゃんの演技を見て笑顔になりたい」って書いてあって。すごく心に響きました。自分のスケートに人を笑顔にするパワーがあるんだって気づかせてもらって、出ようって決めました。

――どんな意味の大会だったか

安藤 スケート人生で初めて人のために滑りました。ホントに現地入りから最後まで、自分のためではなく日本のために。スタンドでは海外のお客さんも日の丸を掲げ、大変な時期なのに日本から足を運んでくれた人も多かった。ロシアにいながら、日本人の様々な思いが詰まった温かい空間でした。

――そこで優勝してしまうとは…

安藤 日本のことばっかり考えて滑ったので、すごく落ち着けました。特にショートはスローな曲だったので余計に感情が穏やかになり、フリーでも順位などを考えずに応援してくれた方へ感謝の気持ちを乗せました。結果的に一番いい色のメダルが取れて良かった! この年は自分の意志をきちんと持って、メンタルコントロールもばっちり。精神面も技術面もハマっていました。選手として一番強く、完成した年だったと思いますね。

――毎年、震災関連のボランティアをしている

安藤 やっぱり8歳の時に父を事故で亡くした経験です。スケートを習い始めたばかりのころでした。初めて両親が練習を見に来る日の朝、いつものように家族でニコニコとご飯を食べ、学校に行きました。図工の時間にクレパスがポキッて折れ「あれ? なんか嫌だな」って思った直後に先生が教室に入ってきて「病院に行きましょう。お父さんが事故で」って。迎えに来た叔母と車の後部座席に座り、ずっと空を見ていました。お願い、お父さんを連れていかないでって。でも、不思議と予感していました。もうダメだろうなって。

――8歳にはあまりに重い現実だ

安藤 周りに大人がいるだけですごく安心でした。それとコーチの門奈(裕子)先生の笑顔に救われた。あの笑顔に会いたくてスケートに通うようになったんです。だから、震災で家族を亡くした子供たちとはゲームをしたり、誕生日にケーキを贈ったり。軽はずみに言葉をかけるのではなく、ただただ一緒に楽しく過ごします。私と状況は違うけど、ある日突然、大切な人を失った悲しみは同じ。だから必ず父の話もしていますね。

――絶望をどう受け入れ、立ち直ったのか

安藤 私は出会いと別れには意味があると思っています。だから、父の死も絶対に意味があるし、何かにつながっている。たくさん泣いたけど悲しいことだけじゃない。今思えば父の死があったからスケートに打ち込めたし、もし生きていたら「スケーター安藤美姫」は誕生していなかった。それに世界は空でつながっているので、どこにいても上を向けば父に会える。だからラッキーなんですよ。

【人知れず被災地へ】
震災以来、安藤は人知れず被災地に足を運んできた。「自分から言うのは嫌なので」。そんなポリシーがあるため、ボランティア活動はあまり知られていない。
震災の翌年(2012年)3月11日にチャリティーアイスショー「Reborn Garden」を開催。それを皮切りに同タイトルのチャリティープロジェクトを立ち上げた。被災地でスケート教室やファンミーティングを開き、介助犬のアンバサダーや募金活動なども行っている。
10年目の今年は新型コロナウイルス禍でショーができないため、特別な造花を制作。アプリをダウンロードし、スマホをかざすと安藤の思いが詰まった演技の動画が見られる仕組みだ(詳細は安藤のフェイスブック参照)。「今は直接会えない皆さまにぜひ見てほしいです」。スケーターとして数々の金字塔を打ち立てた安藤美姫のもう一つの顔がここにある。

☆あんどう・みき 1987年12月18日生まれ。愛知・名古屋市出身。8歳でスケートを始め、ジュニア時代に出場した2001―02年シーズンの全日本選手権で3位となり、注目を集める。06―07年シーズンの世界選手権で日本女子4人目となる優勝を果たすと、10―11年の世界選手権も制した。五輪は06年トリノ大会で15位、10年バンクーバー大会は5位。13年12月に現役引退を表明し、現在はタレント、プロスケーター、振付師として活動中。162センチ。

© 株式会社東京スポーツ新聞社