【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。かつてゴダイゴを大ヒットさせたプロデューサーで、1月23日に亡くなったジョニー野村さん(享年75)とカップスの関係とは? そしてエディが米国で見た伝説のグループとは?
ユカイ 香港でフェンダーのギターを買って、その後は?
エディ この辺によくインターナショナルスクールの連中がたむろしててさ。10人いたら4~5人が楽器できたから、よく一緒に演奏して遊んでたよ。中でもいつも遊んでたのがブッチ、ケネス伊東。彼のお父さんは軍属で、ハワイ出身の日系人。彼はギターがうまいし、歌えたし、最新の音楽をよく知っていた。
ユカイ ルイズルイス加部さんのギターの師匠がブッチさんですね。加部さんはもともとギタリスト。カップスではベース、途中からギターを弾いてました。そのブッチさんと加部さん、エディさん、後のゴダイゴのプロデューサー、ジョニー野村さん(ドラム)がよく一緒にベース回りをしていたそうで、これがカップスの母体のひとつですね。
エディ もう一方のデイヴ平尾のバンドにいたのがマモル・マヌーだね。カップスのドラマーはジョニーにしようと思ってたんだよ。でも平尾がマモルに決めちゃった。
ユカイ なんでですか?
エディ マモルはルックスが良かったから、そっちを取ったんだね(笑い)。
――映画「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」を見て、1960年代にこんな演奏をするバンドが日本にいたのかと驚きました
エディ ジョニーが入ってたら、演奏レベルはさらに上がってたと思う。
ユカイ でも、この接点が後のゴダイゴにつながるわけですよね。ブッチさんがビザの関係で一時脱退した時(68年)、エディさんが声をかけて加入したのがミッキー吉野さん(キーボード)。この人脈からジョニーさんとミッキーさんがつながり、さらにジョニーさんが発掘したタケカワユキヒデさんとミッキーさんがつながって、ゴダイゴが生まれた。
――「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」といったヒット曲は全てジョニーさんプロデュースですね。ゴダイゴはリアルタイムで聴いて大好きでしたが、結成の背後にカップス人脈があったとは知りませんでした
ユカイ 話を戻しましょう。別々にやっていたエディさんたちと平尾さんたちが一緒になったきっかけは?
エディ 1966年だな。大学には全然行かず、アメリカでぶらぶらしたいと思って、親をだまして行かせてもらったんだよ。「帰ってきたら中華料理店を継ぐから」って。そういう気持ちも本当にあったんだけど、あっちでいろいろ見て、やっぱり影響されちゃった。
ユカイ 何を見ました?
エディ ヤードバーズ。ジェフ・ベックがいた時の。
ユカイ おお! ジミー・ペイジは?
エディ いなかった。あとポール・リビア&レイダースね。どこで見たかというと、俺はまだ未成年だから、酒を出す場には入れないわけ。この2組がディズニーランドでやってるっていうから行ったんだよ。
ユカイ ディズニーランドでヤードバーズ!?
エディ いわゆる営業だな。夜になると踊れてさ。遊園地の中にティーンエージャー用の踊る場所があった。ロングビーチでは、黒人ばかりのバンドにひとりテレキャスター持った太った白人がいてさ。ソウルやってたんだけどめちゃくちゃうまい。サインもらいに行ったら「俺は有名人じゃない」って断られた。でも「感激した。お願いします」ってサインしてもらったんだ。それがレズリー・ウエスト(20年12月没。享年75)。
ユカイ マウンテン結成前だ!
エディ サンフランシスコではゼムのコンサートに行って、そこでたまたま平尾と会ったんだ。
☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。
☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。