コミュニケーション不全は差別さえ作り出す 福島原発事故で忘れてはならぬこと

By 西澤真理子

福島第1原発の被災状況。原形をとどめないほど壊れた構造物が集まったタービン建屋前=撮影日時不明(東京電力提供)

 2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第1原子力発電所の事故から10年が経った。1号機、3号機、4号機が相次いで水素爆発。高い放射線量の現場での決死の作業にも関わらず制御が遅れ、東北や関東の住民は被ばくの恐怖に曝された。その後も、福島産食品への風評被害は続いていたが、ここへきて、ようやく少し薄らいだように感じられる。

 やはり、時の流れが寄与しているのだろう。忘却は大切である。恐怖の記憶がいつまでも続いたら生きることが辛くなる。

 ただ、忘れてはならないこともある。福島では、放射線の健康被害に関するあいまいな情報提供により多くの人が傷つき、差別さえ生んだのだ。(リスク管理・コミュニケーションコンサルタント=西澤真理子)

 ▽誰も信じられない

 事故から半年が経過した11年9月、福島県飯舘村のリスクコミュニケーションアドバイザーとして福島市内に避難している村民の仮宿舎を訪れた。

 「誰を信じたらいいのですか」「国や村に慮らず本当のことを言ってください」。4人の子供を抱えた女性や村の若手職員はそれぞれ、二人っきりになったところでこう話しかけてきた。

 事故から一定の時間が経ったこともあり、ていねいなコミュニケーションで正確な情報が浸透していると思っていた。が、大間違いだった。

 飯舘村は福島第1原発から30キロほど離れた山間地帯の農村だ。水素爆発による放射性物質が村に飛来してしまった。国や東京電力の情報が混乱し、6000人の村民の避難が遅れた。ほぼ全員が避難したのは、放射性物質が村に飛来してから実に2か月後のことだ。

 避難先では怒り、疲れ、あきらめ、無力感などネガティブな感情が渦巻いていた。先ほどの女性とは別の女性が心情を吐露した。「私たちは村の中では一番に避難したけれど、机の引き出しに入れられて、バン、と閉じられたような状態のままなんですよ」

 ▽「裏切られた」専門家や自治体への不信感

 中でも、専門家への不信感はことさら高かった。到着早々に「あなたは東大の人ですか」と聞かれた。テレビに出ていた学者の所属先で、もしそうであればあなたは信じられないという、不信と懐疑からの質問だった。

 「大学の先生は説明に来るが1、2時間しかいない。ここで生活してもらいたい。そうしないと信じられない。家族も一緒に来てほしい」「大学の先生が『大丈夫』と言ったけど、翌日に避難になった。だから、裏切られたと思ってしまう」「逆に、悪いふうに言う人〔=事態が深刻だと言う人〕の方が信用できる」「どうせ講演会に行っても、また、安全だと言われるんだろうと思っている」「放射線自体が身近なものではないから『何が分からない?』と聞かれても『何も分からない』と言うしかない。こっちが必要なことを教えて欲しいけれど、『何を教えてほしい?』と聞かれても答えにくい」

 筆者が放射線の専門家と主宰した説明会にも、住民たちはビデオを持ち込んで発言内容の証拠を残そうとしていた。不信の極みである。

 住民の話を整理すると、専門家への批判は以下の4点にまとめることができる。

 (1)信頼できない。

 (2)世代ごとに関心が異なるのに紋切型の話をする。

 (3)何を食べたら大丈夫かなど、具体的な生活の話をしてくれない。

 (4)専門的な話が理解できない。

 これらの批判の一因は、専門家の側が、情報を「かみ砕く」こと=「細かく説明すること」と解釈していること、そして「説得」=リスクコミュニケーション、と考えている誤解にあろう。これは本来のリスクコミュニケーションではない。

 相手に伝えたいもしくは伝える必要のある情報と、住民が知りたい情報との間に乖離があることを認知する。対話を通じ、その間にある誤解や対立、ボタンの掛け違いをほぐしていく。この作業こそが真のリスクコミュニケーションだ。

 そのプロセスでは、専門家は介入(説明)する前に住民の置かれた状況をじっくり観察し、問いを投げかけ、そのうえで相手目線の言葉で話す。こうした準備を抜きに、無理に「説得」することは不信感を生む。実際、村でも「あの先生は自分の話したいことだけを話して帰った」と言われていた。専門家は善意であったにも関わらず、だ。

2011年6月10日(上)と21年2月27日の福島県飯舘村。東京電力福島第1原発事故で計画的避難区域に設定され、全村避難となった。17年3月末に村の大部分で避難指示が解除された。

 ▽だから「危ない」情報に傾く

 信頼できる情報源は顔の見える仲間からの口コミ。テレビやネット情報は玉石混淆でも、情報が速いし語り口が易しい。説得に走りがちな講演会と違い、情報選択の余地があることも重要…。住民は、自分達の情報の取捨選択の基準をこう語る。

 家族を守るための健康情報への不信感が、行政や専門家の考える「安全」への懐疑心に変わっていた。「安全」という言葉自体が信用できない。結果、あいまいとは分かっているが、危ない情報をも追うことになった。

 ワイドショーやネット情報には「福島で耳なしうさぎが生まれた」などの情動的情報も流れ、住民を傷つけた。福島出身や住民だと言い出せないような空気が生まれた。それは一部で、心ない差別につながってしまった。

 不適切な安全情報が差別を生む構造はコロナ禍でも同じだ。

 感染初期には、コロナ患者が出た家に投石や落書きが続いた。引っ越しを余儀なくされたケースもあったという。

10年前の原発事故、その後社会で起こった悲劇から、私たちは今こそ学ぶ必要がある。

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