クイーンの来日公演、チケットはプレイガイドで買うしかなかった
初めて買った洋楽のレコードは小学生の時。クイーンのシングル「キラークイーン」だった。ちなみに、洋楽のコンサート初体験もクイーンの初来日だ。
以前『奇才と呼ばれ異端を愛したアーティスト、岸田森の素顔』で書いた従姉妹がお年玉代わりにチケットを取ってくれて、1975年の日本武道館での初来日公演『シアー・ハート・アタック・ツアー』に連れて行ってくれた。
ライブって凄い!
生の音圧や照明に大興奮し、翌1976年の来日公演のチケットは、お年玉で自分で新宿駅のプレイガイドへ買いに行った。しかしこのとき、S席4,000円は完売… 仕方なくA席2,500円を買った。
当時は駅やデパートに、興行チケットを扱うプレイガイド、いわゆる “チケットセンター” があり、後にチケットぴあがチケット販売に台頭する前はアーティストの来日が決まったら先ずチケットを買うために店頭に行く必要があった。
これが初めて自分でチケットを買い1人で行った洋楽コンサートになる。
その差に愕然… 日本武道館のS席とA席
場所は前年従姉妹と初めて行った日本武道館。千鳥ヶ淵の桜が咲き乱れる緩やかな坂道には沢山の人で溢れていた。
武道館正門前には土産物屋… いわゆるアンオフィシャルのグッズを売る出店が連なる。当時の私はそんな事情も分からず、ステッカーや下敷き、大好きなドラムのロジャー・テイラーの生写真を買い会場に入る。
そして、会場内は凄い人。9割が女性。トイレもオフィシャルパンフレット売り場も長蛇の列…。係員の案内で席に着くと、そこは武道館の北の1階。つまりステージの真後ろになる席で、
これがS席とA席の違いか?
… と、愕然とした。
見下ろすと、いわゆるアリーナ席が見える。ステージ正面でかなり近い。心底羨ましかったがロジャーに近い、後ろ姿しか見えないけれど… と納得した。
千鳥ヶ淵の桜に誓う、武道館はアリーナで!
客電が落ちて場内中凄い歓声があがる。私の周りもみんな立ち上がり、メンバーの名前を呼んでいる。
そして、何だかひんやりした煙? いわゆるスモークが焚かれコンサートが始まった。しかし、ステージを真後ろから見る席のため、どうしてもアリーナ席が目に入る。
当時、アリーナ席は椅子の上に立てたり、前に詰めたり、花束や紙テープなど投げたりすることが出来た。もちろん警備員はいるが、かなり自由度が高かった。結果、この数年後に悲しい事故が札幌で起こり、席を離れたり立つことがご法度になった。(※1)
時折フレディーがドラムに近づき、北の方にも手を振ってくれようものなら下に落下しそうなくらい、みんな手を伸ばし叫んだりしていた。
彼らはアンコールにエルビスの「監獄ロック」など演奏。着物にホットパンツという出で立ちのフレディーに鮮烈な印象を受けその日の会場を後にした。
そして私はこの日決めた。
これからは、武道館はアリーナで観る!
それが無理ならせめて南(正面)で観る!
千鳥ヶ淵の桜に、そう誓った。
念願のアリーナ席、やれば出来る!夢は叶う!
そのために早速リサーチを始める。従姉妹に聞くと、“朝日新聞のコンサート情報が早い” と聞き、母親に朝日新聞の「天声人語」を読みたいからと頼み契約してもらう。
実際、他紙に比べ情報量が多く、隈なくチェックしていると招聘元が整理券を配布したり直接売っている場合はもちろんプレイガイドより良席が手に入ることが分かった。さらにファンクラブがある場合はそちらも良券率が高いことが分かった。
王道としてチケットセンターの至近で徹夜で並ぶ手段もあるが、これは未成年学生ゆえに親が許さなかった…。
試行錯誤しながら1979年クイーンの3回目の来日公演『ジャズ・ツアー』は念願のアリーナ席で観ることが出来た。
この年も千鳥ヶ淵の桜は咲き乱れていた。初めて座るアリーナ席。いたる所に警備員がいる中、コンサートは始まった。
照明、スモーク、音圧と、みんなの歓声が凄すぎて大興奮。髪をやや短くし髭のないフレディは、直ぐに上半身を脱いだ。アリーナ席ではフレディの胸毛に光る汗が照明に反射してキラキラ観える!
まさに、前回の北ゲートと雲泥の差!
大好きなロジャーも前に出て来て(フレディーは着替え)、初めて至近距離でロジャーを観て感無量。
凄い歓声の中の「伝説のチャンピオン」では、私も目を潤ませながら拳を振り上げアリーナへの道を叶えた自分に対しフレディが褒めてくれたかのような錯覚すらした。やれば出来る! 夢は叶う!
次回はアリーナ席でも、さらに前を狙う!
… と、千鳥ヶ淵の夜桜に誓いを立てた。
この後1981年もアリーナ席を取ることに成功するが行かなかった。この話は次回プレイガイドからチケットぴあ時代、どうしたら電話が繋がるか… へとつづきます。
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カタリベ: ロニー田中
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