【追う!マイ・カナガワ】横浜・神奈川区の「大口」、地名の由来たどってみた

JR大口駅西口の看板=横浜市神奈川区

 一見すれば小学校低学年で習う漢字の組み合わせ。だが、ありふれた地名と侮るなかれ。横浜市神奈川区の駅名でもある「大口」には奥深い意味が隠れている。「追う! マイ・カナガワ」取材班に寄せられた依頼から由来を調べていくと、行き着いたのは1100年前の故事。JR横浜線を降りると、どこからともなく格式高い衣(きぬ)ずれの音が聞こえてきた。

 JR東神奈川駅から黄緑色の列車が走りだす。「大口利くな(大口、菊名)というありがたくない駅名ですが」。投稿者の66歳の男性は軽妙なだじゃれとともに興味深い説を寄せてくれた。

 近隣には師岡熊野神社(港北区)にまつわる地名がいくつかあるが、大口は大口袴(はかま)に由来するらしい─。

 そもそも、大口袴とは何か。有職(ゆうそく)故実に詳しい立正大文学部の佐多芳彦教授によると、「おおぐ(く)ちのはかま」と読み、朝廷貴族社会の正装「束帯(そくたい)」姿で用いる袴の一つ。奈良時代からあったとされ、現在でも天皇の即位儀礼や親王の立太子の儀などでも用いられているという。

 地形に由来するとの伝承もあり、大口袴は諸説あるうちの一つではあるが、その雅(みやび)やかな響きは探究心をくすぐるに十分だ。早速、菊名駅で東急東横線に乗り換え、大倉山駅から師岡熊野神社に向かおう。

◆八咫烏

 八咫烏(やたがらす)の紋が掲げられた社(やしろ)。石川正人宮司(69)が神社に伝わる「熊野山縁起」を紹介してくれた。要約すると次のような記述がある。

 大口坂は、仁和元(885)年、光孝天皇から社殿造営の勅命を受けた六条中納言藤原有房卿(きょう)が下向した際、ここで装束を改め、大口袴をお召しになったことに由来するといわれる。

 「かつては海っぺりから参道があって、昭和の初めまでは大口に一の鳥居の台座も残っていたらしい」と石川宮司。だが今、その名残はない。海は埋め立てられ、勅使が足を洗ったとされる「足洗川」も半世紀以上前に暗渠(あんきょ)となった。

 大口とは直線距離にして約4キロ。「遠い昔の記録だし、やむを得ない部分はある。一の鳥居が残っているなら歴史的なつながりがあったかもしれないが…」。点と点を結ぶ線は文献上に残るのみか。

◆日本代表

 1100年前の都人(みやこびと)はどのような思いでこの地にたどり着いたのだろう。感傷に浸っていると、本殿の隅にスポーツファンにとってはなじみ深い紋章が現れた。

 「ジーコジャパンの時のメンバー全員のサインが書かれています」。石川宮司の指の先には大きな絵馬。中央にはサッカー日本代表のシンボルマーク、八咫烏が描かれている。

 日本神話に登場する八咫烏は、熊野三山であつく信仰される導きの神だ。日本にサッカーを伝えた中村覚之助(1878~1906)が、熊野三山のお膝元で、現在の和歌山県那智勝浦町出身というゆかりで日本サッカー協会のシンボルとして採用されたとされる。

 サッカーと八咫烏。祭神を同じくする師岡熊野神社ともただならぬ縁がある。

 そもそも、同神社は横浜市北部の総鎮守であり、日産スタジアムがある新横浜周辺も古来の氏子区域。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)開催を機に「勝利を導く守り神」である八咫烏をあしらったお守りを作ったところ、広く崇敬を集めるようになったのだという。

 中沢佑二、中村俊輔…。石川宮司の口から横浜となじみ深いスター選手の名が続く。「今でも代表戦の時にはおはらいに行くし、冬の全国高校選手権では、他県の代表校も必勝祈願に訪れる」

 いつしか八咫烏に見守られ、列車は再び走りだす。「大口袴に由来するというのは誇り」とはくだんの投稿者の男性。大口、利くな? いえいえ、堂々胸張れる。勅使がたどった道の先に、大きなスタジアムが見えてきた。菊名の次は新横浜駅。言わずもがな、現代横浜の玄関口だ。

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