第18回「表現の自由・不自由」- 表現の自由が奪われれば、あなたの自由も奪われる

異次元の常識 text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

表現の自由が奪われれば、あなたの自由も奪われる

あいちトリエンナーレ2019の『表現の不自由展・その後』における大浦信行氏の展示作品への抗議による、愛知県の大村知事に対するリコール運動が、美容外科高須クリニックの高須克弥院長の呼びかけにより行なわれていた。

これには名古屋市長の河村たかし氏も全面的な支援をしており、約43万人の署名が集められたが、解雇を問う住民投票の実施に必要である、約86万6千人分の署名には及ばず、リコールは不成立となった。

問題はその後、43万人のうち83%に当たる36万2千人分の署名が無効と判断され、複数人が何筆も書いたと疑われる署名が全体の9割にも及び、選挙人名簿に登録されていない者の署名も5割近くもあったようだ。

これについて愛知県選挙管理委員会は、刑事告発する方針を決めたが、佐賀県でアルバイトを雇い署名させていた事実が、アルバイトをした当人の証言により発覚した。

『お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会』の公式HPによると「天皇の肖像を燃やしたり、日本兵を侮辱する作品展示会を、県民の税金で強行開催した大村知事のリコールを求めます」

という主旨のようである。

しかし燃やされる天皇の肖像は、大浦氏本人が作成した自分の作品であり、それも映像の中で燃やされているものである。日本兵を侮辱したと言われる作品上部に乗せられた日の丸の寄せ書きは、特攻隊の寄せ書きではないので、かなり強引な言いがかりであると感じる。

個人的には天皇の写真が燃やされてもなんとも思わないが、中には「天皇の写真が燃やされるのは、自分が燃やされるのと同じ」と捉える人もいるようなので、この作品は様々な人間の感性に訴えるしっかりとしたアート作品であるように思う。

作者本人も言っているように、対米従属を続ける日本を揶揄しているアート作品であり、リコール運動の意図するところとは完全にかけ離れている。

俺程度の人間が芸術を語るのはおこがましいが、芸術というものは様々な捉え方があって然るべきであり、鑑賞した本人の感性が真実だ。そしてその表現活動においては、表現の自由として憲法21条で保障されている。

公的資金によって様々な問題がある展覧会を開催していることを問題視する声もある。

確かに、2016年に開催された愛知トリエンナーレに出展されたラウラ・リマ氏の作品では、生きた鳥が数多く使われ、その中には衰弱・死亡してしまった鳥もいたようだ。

個人的に俺は動物愛護で、動物性のものを一切食べない・使用しない生活を極力心がけているので、2016年のあいちトリエンナーレに関しては許せるものではない。

しかしその抗議をするとしても、不正な署名活動をするのは間違っていると思うし、2016年の話を持ち出して2019年のあいちトリエンナーレを批判するのも腑に落ちない。

2019あいちトリエンナーレに関しては、全く問題ないどころか、表現者の端くれとしては拍手を送りたいほどの、門戸の広い素晴らしいアートイベントだと感じている。

行政と芸術の関係性は「金は出すが口は出さない」という「アームズ・レングスの法則」という「芸術と行政が一定の距離を保ち、援助を受けながら、しかも表現の自由と独立性を維持する」という法則に基づき、公的資金による展覧会などが開催されている。戦前にナチスや日本が、権力にとって不都合な作品内容に介入した歴史の反省の上にできた法則のようだ。

権力があり公的な資金を使うからこそ、憲法は守らなければならない。これは政治として正しいと俺は思う。

願わくば、あいちトリエンナーレの『表現の不自由展・その後』を実際に鑑賞したかった。絵画やアート作品は、生で観てこそ伝わるものがある。

それは音楽でも同じだ。十人十色の聴こえ方があり、気に入らないものがあって当たり前だ。それが「芸術」と言われるものであり、表現とはそういうものであると思う。

個人的に高須院長の近年のネット右翼的な思想・発言などは、ひどく不快で全く支持できないが、元々は美容整形の専門家としてタトゥーへの理解も深く、アートには造詣が深い人物だったのではないだろうか。それが今回、アートという表現を糾弾する側に立ってしまったことは残念な思いである。

だからと言って、インチキ署名は許せるものではない。現時点(2021年2月24日)では高須院長と河村たかし市長の間で責任の所在をなすりつけ合っているが、徹底的に原因究明をして責任の所在を明らかにし、首謀者や関係者は責任をとるべきだ。そうしなければこの国の芸術表現に、自由はなくなってしまう。

ミニマルミュージックの第一人者と言われる、スティーヴ・ライヒという人物の音楽がある。代表作には『18人の音楽家のための音楽』というものがあるが、個人的に好きな作品は『Sextet:1st Movement』というアルバムだ。

様々な楽器が各々別々の一定のリズムや音階を奏で、それが合わさることでひとつの音楽を形成する。バンドなどの複数の楽器で演奏する音楽全般に言えることではあるが、スティーヴ・ライヒを言葉で説明することは非常に難しいので、興味があればぜひ聴いてほしい。

様々なものが入り混じりひとつとなり、作品となる。それはアートも同じではないだろうか。

確かに俺も、2016年のあいちトリエンナーレの動物虐待の作品は、許せるものではない。しかし個人的には、それを「公的資金を使ったから問題だ」という観点は違うと思うし、ましてや2016年の動物虐待の問題のみを切り取り、表現の自由を認めないのはおかしいと感じる。動物の生命は人間と同じように大切なものであると思っているが…。

芸術には憲法で保障された表現の自由がある。そこを捻じ曲げて、自らの主義主張だけのために表現の自由を壊さないで欲しい。

この問題は、音楽、文芸、映画、アート、演劇などのすべての芸術における重要な問題だ。表現の自由が奪われれば、あなたの自由も奪われる。それを肝に命じてくれ。

スティーヴ・ライヒは最小限に抑えた音型を反復させるミニマル・ミュージックの先駆者として、現代における最も独創的な音楽思想家と評される。1990年に『18人の音楽家のための音楽』、ホロコーストを題材にした『ディファレント・トレインズ』で二つのグラミー賞を受賞。『Sextet』は「六重奏曲」の邦題で1985年に製作された作品。

【ISHIYA プロフィール】

ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。

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