『LBJ ケネディの意志を継いだ男』スーパースターから要職を受け継いでしまった男の困惑

ジョン・F・ケネディ大統領がダラスで暗殺されたのは1963年11月22日(米国時間)。米国憲法に基づき、ケネディの跡を継ぎ、第36代アメリカ大統領となった、ケネディ政権の副大統領 リンドン・B・ジョンソンの政治的葛藤を描いた実話ベースの一本。ラブコメ映画のプロデュースで有名なロブ・ライナー監督作品。

[LBJ ケネディの意志を継いだ男 - Google 検索]

[LBJ ケネディの意志を継いだ男 - Movies on Google Play]

黒人の公民権法成立を目指したケネディ政権の遺志を継承し、ジョンソン第36代アメリカ大統領の業績とは

南部出身の政治家であるリンドン・ジョンソンは、北部の富裕な一族出身でハーバード卒、しかも若くイケメンのジョン・F・ケネディとはその政治背景も信条も正反対と言えるような政治家と見られていた。実際、下ネタとしか言いようのない(現代の我々からすれば)下卑たトークスタイルや垢抜けない見た目は、洗練されたエリート然としたケネディやその取り巻きからすれば到底受け入れ難い野卑さだった。(特に、ジョンの実弟であり、当時の司法長官であったボビーことロバート・ケネディは、ジョンソンを毛嫌いしていたとされる)

また、黒人への公民権を保障する目的とした公民権法の成立を目指すケネディ政権において、リンドン・ジョンソンは南部の政治家たちからすれば成立阻止のための拠り所(言ってみれば獅子身中の虫)であり、逆に彼を副大統領に祭り上げたケネディ陣営やそのシンパたちからすれば、南部の反対票を切り崩すためのカウンターパートとなっていた。(南北戦争ははるか昔の紛争ではあるが、リベラルな北と保守的な南というステレオタイプな政治・文化的分断は埋まることのない溝を作っていた)

[アフリカ系アメリカ人公民権運動]

そんな状態の中、テキサス州ダラスにおいて、ジョン・F・ケネディが何者かに射殺されるという大事件が起き、ケネディ政権の中で飼い殺しの憂き目に遭っていたといえるリンドン・ジョンソン副大統領は自動的に大統領に昇格、第36代米国大統領になるのである。

南部出身の大統領が誕生したことで、公民権法の成立が危ぶまれたが、ジョンソン大統領はケネディ前大統領の遺志を継ぎ、この法案を可決させる。

本作は、この成果をもって、リンドン・ジョンソンとその政権の業績の再評価を狙ったものであると言える。

理想家集団の中で苦悩する実務家の話

本作は、頭が良く生まれも育ちも良いエリート集団の中に 図らずも放り込まれた 野卑な田舎育ちの男が 彼我の違いに悩み苦しむ様と、偶然脚光を浴びることになったその男が 自分の立ち位置を定めかねて戸惑うという話だ。

どんな困難も正論と信念で立ち向かっていこうとする“世間知らずで”“頭でっかち”な若者たち=ケネディとその取り巻きたち に対して、南部育ちで長いこと院内総務として海千山千の議員たちとの泥臭い腹の探り合いに取り組んできた“叩き上げ”のジョンソンが一緒に仕事をすれば、それはうまくいくはずもない。

ジョンソンからすれば、ケネディたちの情熱や論理は認めるし、頭が下がるが、かといって物事は理屈通りに進むわけではなく、感情や個々の立場を尊重しながら調整していかなければ成り立たないという想いがある。

ケネディ政権の中でも、最も急先鋒であり攻撃的なボビー(ロバート・ケネディ司法長官。ケネディ大統領の実弟であり、ケネディ政権のブレーンの中心だった)とは全く反りが合わない。彼の頭の良さは分かるが、世の中はもっとドロドロした交渉で成り立っている、大衆にウケればいいというわけではないのだと、ジョンソンは思わざるを得ない。

このままでは、エリート集団の中で飼い殺しにされ、単なる頭の悪い老害として スポイルされる、と観念しかねたジョンソンだったが、突如 政権のリーダーであるケネディ大統領が暗殺され、副大統領である自分に次のお鉢が回ってくる。

大統領となって、政権をリードしなければならない立場に急に持ち上げられた彼は、黒人の公民権確立のための法案を成立させるという、ケネディの“理想”を引き継ぐか、時期尚早として とりあえず後回しにするという現実的な解を選択するかの選択を迫られる。
そして、ジョンソン大統領が下した決断とは?というのが、本作の流れだ。

本作では、古くさい“保守的”政治家が、持ち前の調整力と交渉力を駆使して、突然理想主義のリベラルな政治家から託された遺志の実現に尽力していく姿を描いている。

たまたま理想家の側にいた人物を再評価しようと言われても困る、というのが本作への感想なのだが・・・

実際には、黒人公民権法の成立に成功したジョンソンは1964年の大統領選挙には圧勝するものの、すぐに支持率を下げてしまい、1968年には出馬さえしない。( 1968年の予備選で活躍したのはジョンソンと不仲であったロバート・ケネディだが、志半ばで彼もまた暗殺の憂き目に遭う

親ケネディ派を公言している僕にとっては、リンドン・ジョンソン大統領を評価しようという感覚さえ起きないので、本作の意義や意図にまったく共感できないのだが、理想だけでは物事は前に進まない、清濁併せ持つ実務家の助けが必要だ、という話であれば、まあ確かにそうだと頷かざるをえないかもしれない。

実際、理想家は実務家をバカにし、実務家は理想家を夢想家と非難するという図式が一般的だから、両極端の考えを持つ者同士のコラボを待ち望む声が、本作の企画を通したのだと思ったりもする。理想主義者の熱い想いに共感して手を貸す実務家がいれば、確かに話は早そうだからだ。

しかしながら、やはり僕の考えでは、いわゆる実務家の数は多く、(スタイルだけではなく、その実現に命をかけてくれる)理想主義者は数少ない。偽物が多いので本物を見抜くのはかなり難しいし(単なる 危ない原理主義者である可能性も高いし)、理想家はものすごく脇が甘そうだけど(だからケネディ兄弟も、坂本龍馬も 織田信長?もシーザーも暗殺されていると言えるか?)、それでも信念に殉じようとする真の理想家こそを待ち望み、評価したい。
たまたま現れた“運の良い”実務家にスポットライトを当てるのもいいが、それに感動している余裕がない、というのが本音なのである。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

© 株式会社リボルバー