田口&広岡トレードの“お手本”? 88年に藤田監督が断行した主力同士の交換

リーグ優勝を決め、胴上げ投手の宮本(手前)と抱き合う中尾(1989年10月6日)

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・原監督が、またもや大胆な電撃トレードに踏み切った。8年目の左腕・田口と、ヤクルト6年目の野手・広岡を1対1で交換。巨人による同一リーグでのトレードは2013年以来8年ぶりである。しかも開幕まで1か月を切っている時期とあって、ファンや球界関係者を驚かせた。

原監督は広岡に「未知の新しい力」を見いだした一方、ここ数年頭打ちになっていた田口にも新天地を提供。昨季、ロッテとの間で澤村(現レッドソックス)と香月を交換したケースと同様、選手を飼い殺しにしない“前向きな”トレードと評価する声も少なくない。

この“お手本”は、原監督の師匠・藤田元司がかつて断行したトレードにあると私は思う。2回目の巨人監督に就任した1988年オフ、エース格の西本聖に控えの加茂川重治を加えて、中日の正捕手だった中尾孝義と2対1で交換したのだ。

西本は81年に沢村賞、中尾も82年にMVPを獲得した主力同士のトレードだったから、衝撃度は田口と広岡のトレードの比ではなかった。そうした中、当時主砲だった原は89年1月、修善寺で行った自主トレに、自ら中尾を呼び寄せている。

これは大がかりな自主トレで、原が懇意にしていた大京・陸上部のグラウンドに22人もの選手を招集。その中に、後にコーチとして原監督を支える鹿取、吉村、岡崎、川相、後藤らも含まれていた。原は当時から将来、監督にのし上がる未来図を視野に入れ、着々と自派閥を拡大しようとしていたのかもしれない。

当時はわれわれ報道陣も原たちと同じ温泉宿に泊まった。たまたま地下の大浴場で中尾と一緒になり「原の気遣いには感謝している」といった話を聞いた記憶がある。

89年、中尾は正捕手としてリーグ優勝と日本一に貢献し、カムバック賞まで受賞。放出された西本も中日で20勝して最多勝のタイトルを獲得し、藤田監督による大胆なトレードが正しかったことが証明された。

しかし、藤田監督は見切りをつけるのも早く、中尾が故障がちになると92年に西武へ放出。交換相手は同じ捕手の大久保で、以前から「こいつにチャンスを与えてやってくれ」と根本管理部長に頼まれていたそうだ。

その後、大久保が巨人の起爆剤となり、大ブレークしたことはよく知られている。さて、広岡はどれだけ「未知の力」を爆発させられるかな。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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