ミステリアスな古代貿易都市 ポヴァティ・ポイントの記念碑的土構造物群 − ルイジアナ州 − 世界遺産とは 地球の生成と人類の歴史によって生み出され、未来へと受け継がれるべき人類共通の宝物としてユネスコの世界遺産条約に基づき登録された遺産。1972年のユネスコ総会で条約が採択され、1978年に第1号が選出された。2018年7月現在、167カ国で1092件(文化遺産845件、自然遺産209件、複合遺産38件)が登録されている。

古代に築かれたこのような半円形の土構造物は、今のところほかでは見つかっていない ©️NPS Photo by Susan Guice

ルイジアナ州の北東、延々と広がる田園風景の中に、ぽつりと静かに佇む遺跡がある。かつてアメリカ先住民族が築いた都市といわれる北米最大級の土塁遺跡、ポヴァティ・ポイントの記念碑的土構造物群だ。一見、あまり目立つ建物などはないのだが、実は今、世界的に注目を集める遺産となっている。

ここが築かれたのは、およそ3700〜3100年前。ポヴァティ・ポイントという名は、この近くにあった19世紀のプランテーションに由来している。遺産を構成するのは複数の大きな土塁と、広場を中心に6つの畝が同心円状に広がる半楕円形の構造物など。半楕円形の1番外側の畝は直径が約3740フィートもある。遺跡の規模が相当大きいことが分かるだろう。

ここには建物は建っておらず、すべてが土でできた世界でも珍しいタイプの構造物群だ。興味深いのが、自然の地形との調和性。この構造物群は、ミシシッピ渓谷下流の細長く隆起した地形を利用して築かれている。もともと洪水が頻繁に起こる環境下で住民を守るためには、この立地は好都合だったと考えられる。また、構造物群を構成する土塁、交差する畝や通路、円形に掘られた広場、畦道など、一つひとつの要素がすべて地形をうまく利用しており、自然と調和が取れているのだ。北アメリカの先住民の歴史においてはもちろん、世界でも類を見ない独特な造形の土構造物群として評価が高い。すべてが土にも関わらず、2000年以上の間、崩壊することもなく極めて良好な状態を保ってきた。かつてこの地で発展し、今はもう消えてしまったアメリカ先住民族の文化を知るための貴重な資料として、2014年に世界文化遺産に登録された。

かつては商業の要だった

出土品も多数あり、今も研究・解明が進められている(写真:Poverty Point公式パンフレットより)

出土品も多数あり、今も研究・解明が進められている(写真:Poverty Point公式パンフレットより)

ポヴァティ・ポイントの記念碑的土構造物群は、文字による記録が一切ないのでいまだ解明されていない謎が多い。現在分かっているのは、ここでは狩猟、漁労、採集が盛んに行われ、水と食物に恵まれた大都市であったということだ。地形的に見ると、この地はミシシッピ渓谷や周辺の森に簡単にアクセスできるロケーションとなっている。遺跡からは穀物や果物、魚や野生生物の肉などの痕跡が多く見つかっており、食糧には十分恵まれていたことが判明している。また、発掘調査では槍先や容器、ナイフといった石器類や遺物が多数見つかった。この周辺には大きな採石場がないにも関わらず多くの石器製品が出土していることから、貿易を行って何十マイルも離れた村から岩や鉱石を得ていたのではないかといわれている。さらに、ポヴァティ・ポイントは貿易のハブ港という役割を担った商業の町であり、各地と取り引きができるような大きなネットワークを持っていたとも考えられている。

ポヴァティ・ポイントの遺跡では、ガイドツアーやデモンストレーション、そのほかさまざまなプログラムが用意されている。また、より詳しく学べるミュージアム、さらに周辺には2.6マイルのハイキングトレイルもあり、実際に歩いて見て回ることもできる。謎多きミステリアスな先住民の遺跡へ足を踏み入れれば、何かが分かるかもしれない。

 

遺産プロフィール
**ポヴァティ・ポイントの記念碑的土構造物群
Monumental Earthworks of Poverty Point**
登録年 2014年
遺産種別 世界文化遺産
www.nps.gov/popo/index.htm

ライタープロフィール
齋藤春菜 (Haruna Saito)
物流会社で営業職、出版社で旅行雑誌の編集職を経て渡米。思い立ったら国内外を問わずふらりと旅に出ては、その地の文化や人々、景色を写真に収めて歩く。世界遺産検定1級所持。

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