TOKIOがいたDASH村の現在 線量計からは今も警告音「時間が止まっています」

2011年4月に牛舎で撮影された三瓶さん夫妻(撮影=郡山総一郎氏)

東日本大震災から11日で10年を迎えた。津波などによる死者・行方不明者は2万人を超え、東京電力福島第1原発はメルトダウンし、放射性物質が拡散された。今でも人々が戻ってこない地域があるが、その一つが福島県の浪江町津島地区。人気番組「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)のDASH村があったところだ。この地区に10年間通い続けてきた写真家・郡山総一郎氏に10年前と今の写真をもとに現状について聞いた。

津島地区は、「ザ!鉄腕!DASH!!」のDASH村があったことでも知られている。東日本大震災が発生した2011年3月11日には、TOKIOのリーダー・城島茂が、後に不祥事でグループを脱退した山口達也さんとともに、同番組のロケでDASH村に滞在していたという。内陸部に位置する津島地区は、海岸エリアではないために津波には巻き込まれなかったものの、国道が通行できなくなるほどの被害が及んだ。そのため城島と山口さんは東京へ戻ることもままならず、現地で足止めになってしまった。

DASH村の所在地は当初、ファンが押し寄せることがないように非公表となっていたが、原発事故の影響で同地区が計画的避難区域に指定されたため、11年4月の放送で所在地を公表している。郡山氏は〝この10年〟を次のように振り返る。

「時間が止まっています。復興というより何も変わってない。人が住まなくなったこと以外はね」

津島地区は福島県の沿岸部から西へ広がる浪江町にあり、原発からは約30キロ。原発事故に伴い帰還困難区域に指定され、津島地区には今でも住めないことになっている。

郡山氏は、酪農業を営んでいた三瓶利仙(としのり)さん(65)と恵子さん(63)夫妻に密着。震災から1か月後の2011年4月には牛舎で牛たちと一緒に写真を撮った。

「夫妻はいったんは避難したものの、心配で牛の世話に戻ったんです。その後は別の場所に移って酪農を続けていたのですが、事情があり今はやめています」

10年後の21年1月、夫妻の写真には馬が写っていた。

「約40キロ離れた(福島県安達郡)大玉村で馬の世話をしています。以前から馬をやりたいと思っていたそう。お墓も津島から移したから『津島に戻る理由がなくなった』と話していましたね。馬を始めて数年たち、ようやく切り替えができたといった様子でした」

このように住民たちは別の場所で再スタートしている。

次は民家の前で犬をあやす女性の写真だ。

11年5月に撮影されたもので、10年後の今年2月に撮影されたものと比べると…草木で荒れてはいるが建物はそのままだ。

「家屋には潰れてしまったものもあります。原因は雪の重み。雪かきする人がいませんからね。また、津島では畑などが潰されて汚染土が集められています。トンパックという黒い袋に入れられて積み上げられていますよ」

この津島地区には、原発事故前から“警告”が発せられていたという。

「原発ができる前に専門家が来て、『事故になったら、ここは必ず線量が高くなる』と話していたと地元の人から聞きました。谷になっていて風が流れ込みやすいというんですね。実際に専門家の言っていることは本当でした。今も線量が高いです」

郡山氏はウクライナ製の線量計を使っている。

「先月、津島地区の地面近くを測ったら警告音が鳴るほど高い数値が出ました。線量が高くなりがちなのは自販機近くのごみ箱。空き缶がサビると、そのサビに放射性物質が付きやすいのです。あとはコケ。コケはカリウムを摂取するのですが、似ているセシウムを摂取してしまうからだと聞きました」

日陰でコケが生えていると線量が高くなりやすいという。

置き去りにされた車もまだ多く残っている。11年5月に撮られた白い軽トラは、10年後の2月もそのままだった。違うのは、10年前は車体にメッセージが残されていたこと。「茶色の犬を保護しました」との言葉と携帯番号が書かれていた。

「当時、ペットを保護するNPOがいっぱい現地入りしていました。エサを所々に置いていましたね。この車の所有者は別の車で避難して、車だけそのままになっているのでしょう。ここに来る道路は1年前まで閉鎖されていたという事情もあります」

最近は、震災から10年を振り返る企画などで津島地区が取り上げられる機会が増えている。さらに10年後の31年には、果たしてどうなっているのか。

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