【藤田太陽連載コラム】同じ阪神の15番・西純矢くんとの不思議な縁

阪神が2019年のドラフトで1位指名した西純矢

【藤田太陽「ライジング・サン」(36)】2013年の現役引退後、飲食店開業へ向けての修業など多くの経験をさせていただきました。

16年から現在のロキテクノ富山野球部に在籍し、19年から同社の本社である株式会社ロキグループに勤務。併せてプロ野球OBとしての活動も継続していますが、阪神タイガースとの不思議なご縁もありました。

それは19年のドラフト1位・西純矢投手との出会いです。西くんが中学を卒業し、これから岡山・創志学園の野球部に入ってくるというタイミングでした。

たまたま学校から指導を要請され、僕なんかで良ければという形で現地を訪ねました。そうすると、キャッチボールの段階で「何じゃこれは」というボールを投げる少年がいました。

まだまだ線は細かったですけどね。だってまだ高校にも入ってない、これから新1年生という生徒ですから当然です。

最初、特に話をすることはなかったんですけど「スライダーの曲がりがおかしいので何とかしたいんですけど」と質問してきてくれました。

ちょっとそれじゃ曲がんないな、という握りだったので少しアドバイスしました。キャッチボール時の腕の振りなど、さまざまな角度から「この子は(スライダー投球時に意識するのは)中指っぽいな」と思って話をさせてもらいました。

西くんはあのへんにこう投げれば、こう変化するという感覚を持っている子でした。そうでない場合、また指導の仕方が違うのですが、西くんには少しヒントを与えるイメージで言葉をかけた感じです。それ以外には「とにかくいっぱい食え。寮生活は寂しいけど頑張りや」くらいしかアドバイスはしてません。

その後も創志学園に指導を要請していただく機会がありました。西くんは「その節はありがとうございました」とあいさつに来てくれて「ブルペンで立ち投げするので見てください」と投球を見せてくれました。

当時、僕から伝えさせてもらったスライダー、ずっとその握りで投げてくれていました。ちゃんと継続してやってくれていたんです。その後、プロ入りに際しては奇遇にも阪神のドラフト1位で、僕と同じ背番号15を選んでくれました。他にもいい番号があったようですが、ありがたいです。00年と19年のドラ1で右投手。何かご縁を感じます。

とにかく、慌てずに。宝物だから大事にされる。周囲からもいろいろと言われる。でも、自分のピッチャー像をしっかりと持って努力を続けてほしいです。福原さん(阪神投手コーチ)には「よろしくお願いしますね」と連絡しておきました。

ここで誤解してほしくないのは、僕がスライダーを伝授したとかそんな大げさなものじゃないということです。僕は数回、関わっただけで自分の指導でプロ選手が生まれたなんて思っていません。西投手を育てられたのは高校の監督さんであり、指導された方々。何より本人の努力のたまものです。それは明記しておきます。

昨年、ちょっとファームの試合で投げた時になんか違うなという感覚があったんですよ。力を入れて、無理やり投げているイメージが見て取れたんです。西くんは力投タイプのイメージがありますが、バランスよく投げる方がボールの質がいいタイプ。まあ、まだ10代ですし、難しいですよね。

今年は宜野座キャンプで一軍スタートでした。まだまだこれからです。阪神の背番号15を背負って投げてくれる西くんをこれからも見守っていきたいです。

☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

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