日本人アイドル並みの稼働スケジュール、ソフィー・マルソーは花の82年組! 1983年 3月12日 ソフィー・マルソー主演映画「ラ・ブーム2」が日本で劇場公開された日

花の82年組? 日本で銀幕デビューを果たしたソフィー・マルソー

北原佐和子、堀ちえみ、新井薫子、小泉今日子… “花の82年組” 3月デビューの少し前、映画『ラ・ブーム』で日本の銀幕デビューを果たしたフランスの若手女優、ソフィー・マルソー。

当時映画雑誌の人気投票の上位にいたのは、シェリル・ラッドやファラー・フォーセットといったチャーリーズ・エンジェル軍団や、『エンドレス・ラブ』で大人っぽいラブストーリーに挑んだブルック・シールズといったセクシー売りの女優たち。

そこに突然現れた同年代の女の子は、女優というよりは日本人アイドルのようで、パリジェンヌなのに親近感があって、当時の多くの中高生男子は魅了されたものでした。

待望の続編「ラ・ブーム2」劇場公開、プロモーションで2度目の来日

そして翌年3月、待望の続編「ラ・ブーム2」が劇場公開。

公開に先立つ2月、映画のプロモーションでソフィーは2度目の来日を果たします。改めて見る彼女の姿は、ボディーラインがぐっと豊満に。前年170㎝ / 56kgと公表されていた身長 / 体重は、身長が1cm伸び、体重は非公開となりました(来日時の取材で「間食がどうしてもやめられなくて、この1~2年ものすごく太った」と本人が述べています)。

当時の劇場用パンフレットに来日スケジュールが掲載されています。一部抜粋しますと…

2月5日:エールフランス274便で来日
2月6日:日本テレビ『スーパーJOKEY』出演(司会:ビートたけし、ゲスト:研ナオコ)
2月7日:朝6時30分ホテル出発
     テレビ東京『おはようスタジオ』出演
     帝国ホテル・桜の間にて記者会見
     迎賓館前で田原俊彦と月刊平凡のグラビア撮り
     集英社スタジオにて『セブンティーン』表紙及びグラビアインタビュー取材
2月8日:ヤクルトホール特別試写会にて舞台挨拶
2月10日:新幹線で大阪へ移動
     大阪グランドホテル・葵の間にて記者会見
     テレビ取材:YTV『きんきTODAY』、ABC『おはよう朝日です』
     ニチイ表敬訪問
2月11日:京都市内観光(料亭鶴屋にて松竹副社長スタッフと夕食会)
2月12日:新幹線で東京へ移動
     学研『BOMB』グラビア撮影
     集英社九段スタジオにて『ノンノ』表紙撮影及びインタビュー
     千代田スタジオにて『女性セブン』表紙撮影
2月13日:エールフランス269便を2度変更。最終的にJAL70便でロス経由で帰国

来日キャンペーン2日間 / 1日2~3時間しか働かないハリウッド俳優が多くいる中で、日本人のアイドル並みに稼働する姿勢に28年の時を超えて好印象を持つのでした。

愛はファンタジーからリアリティへ、どんどん大人になっていくソフィー

肝心の映画のストーリーは、前作が王子様系男子・マチューへの淡い恋心の芽生えを描いた甘い初恋物語だったのに対し、今回のお相手・フィリップはワイルド系男子。

列車の中での偶然の出会い、ロックコンサートでの長いキス、初恋の彼との再会、年上男の誘い。そして自分の本当の気持ちに気が付き、列車で旅立とうとする彼を追いかけパリの街を疾走する。どんどん大人になっていくソフィーの姿に、普通の高校生だった自分はおいて行かれるような寂しさを感じたり。

そして、主題歌。前作「愛のファンタジー(Reality)」は甘い歌詞、リチャード・サンダーソンのささやくような歌唱、そしてピンクのハート型のレコード盤。それに対し、今作「恋する瞳(Your Eyes)」を担当したクック・ダ・ブックスは英国リヴァプールで結成されたポップロックバンド。

エモーショナルな旋律、「True love is hard to find now」(本当の愛を探すのは難しい)という少し大人びた歌詞、そしてレコード盤はハート型だけど色はブルーに。オリコン週間シングルランキング通算2週トップ20入り。1983年4月25日付ランキングで最高位17位は健闘と言えるのでは。ちなみにこの時の15位は石川秀美「HEY!ミスター・ポリスマン」、16位は岩井小百合「イチゴの片想い」。

セザール賞最優秀新人女優賞を受賞、本格的な女優の道へ

映画の配給収入の方は3億7000円。前作の2億1000万円を大きく上回るものの、同年公開された国産アイドル映画、薬師丸ひろ子主演『探偵物語』、原田知世主演『時をかける少女』28億円、松田聖子主演『プルメリアの伝説』(同時上映『刑事物語2 りんごの詩』)12億円が強力過ぎました。

日本の映画関係者は次回作に期待と思ったかは分かりませんが、本作でセザール賞最優秀新人女優賞を受賞した後、本人は『フォート・サガン』をはじめ文芸・アート方面の作品を選ぶようになり、大胆な演技で本格的な女優の道を進んでゆきます。

日本の1982年同期アイドルと比べ急ぎ足で卒業してしまうあたりは、パリジェンヌなんだなあと自分を納得させ、日本の東宝シンデレラへと心移す1984年の夏なのでした。

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カタリベ: 高橋みき夫

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