“還暦の恋”切なく… 意欲作「あなたがはいというから」刊行 五島市の作家 谷川直子さん

「あなたがはいというから」の表紙

 さまざまな境遇の中で生きる女性の葛藤や機微を、リアルな筆致で繊細に紡ぎ出す五島市の作家、谷川直子さんの新作が刊行された。書き下ろし長編「あなたがはいというから」(河出書房新社)。還暦世代の男女の恋を描いた感動作。波乱の展開の中ににじむ哀愁が、切ない読後感を誘う。著者の谷川直子さんに、作品について話を聞いた。

 主人公の柊瞳子(ひいらぎとうこ)は東京都内の総合病院の一人娘。理系学科が苦手な文学少女だった。医者を目指したが諦め、医者の婿養子をとることを条件に、大学の文系学部に進学し、和久井亮(わくいりょう)と出会う。共に文学好きの2人はすぐに引かれ合う。周囲から「魂の双子」と呼ばれるほど強い絆で結ばれていたが、その時にはまだ、それがどれほど奇跡的な結び付きであるかに気づいていなかった。いつしか別れ、別々の長い道のりを経て、37年ぶりに作家となった亮と再会。2人は今も変わらぬ愛に気づく。しかし、それぞれが生きるためについてきた“うそ”によって、あらがえない現実にからめ捕られていく-。
 著者の谷川さんは、主人公の瞳子と同世代。「若い人から見れば、60歳の恋なんて気持ち悪いと感じるのかもしれない。でも、自分自身を振り返ってみても大人げなくて、全然悟っていない。還暦という節目で、ふいに若い時に引き戻されたらどうなるだろうと考えたのが、この物語を書こうと思ったきっかけ」と明かした。「今、人間関係が希薄になっていると言われているけれど、好きな人を追い求めるという純粋な気持ちはみんなが持っていて、失われてはいないと思う」
 文学の可能性や意義についての問いかけも、この小説の大きなテーマの一つ。
 「物語が人を救えるかということが、ずっと気になっていた。自分の中では文学の位置は高いが、社会的には、すぐに役立つ実学が偏重されている。そんな中で、本を読むことにどれだけ価値があるかということを実感できる小説が書けないかとの思いがあった」
 物語の中で瞳子は思う。「小説が何のためにあるのか。それは人が自分以外の誰かになるためなのよ。楽しそう、悲しそう、うれしそう、つらそう、すべての『~そう』以上のことを知るために、人は物語から学ばなくてはならない」。亮は言う。「現実を切り取って終わりがあるように見せるのが作家の役目なんだと思う。(中略)苦しい人生も物語のようにいつかは終わると思えばなぐさめにもなる。結末がどうなるかが問題なんじゃない。結末のあることが小説の差し出す物語の救いなんだ」。瞳子と亮は、ときに物語と現実のギャップを感じながらも、文学の力を頼み、現実と折り合いながら生きようとする。
 物語の冒頭、早世の詩人、花邑(はなむら)ヒカルの作品として引用される詩「あなたがはいというから」は、詩人でもある谷川さんの自作。表題でもあるこの詩が、ラストでも重要な鍵となる。
 「還暦の恋」をどう描くか-。谷川さんが新境地に踏み出した意欲作だ。
 「あなたがはいというから」は四六判、256ページ。1980円。

 【略歴】たにがわ・なおこ 1960年、神戸市生まれ。2012年「おしかくさま」で第49回文芸賞を受賞しデビュー。他の著書に、小説「断貧サロン」「四月は少しつめたくて」「世界一ありふれた答え」「私が誰かわかりますか」などがある。2005年から五島市在住。

谷川直子さん

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