次廣靖(映像記録者)×クロダセイイチ(Genius P.J's)- "ライブハウスに行くのはこわい" という原点に戻った?!

田舎で受けた"殺害塩化ビニール、猛毒"の洗礼

クロダ:Genius P.J'sのクロダセイイチです。長年、第一戦で活躍をしている業界の方々からお話しをお聞きしたいなと思って、この対談企画を計画しました。第一回はテレビの番組や映像を作っている次廣靖さんにお越しいただきました。次廣さんは、今まで対談をされたことはありますか?

次廣:話しを聞かれることはありますが、対談っていう形は初めてですね。

クロダ:ライブハウスで次廣さんを見かけたことがある人はすごく多いと思いますが、「実際なにをしている人なんだろう?」って気になっているんじゃないかなと思います(笑)。

次廣:それは、よく言われますね(笑)。『次世代ロック研究所』(ジロッケン)をやったときには、みんなから、「初めて仕事をしているところを見た」って言われました。

クロダ:もともと自分のバンド・Genius P.J'sはshibuya CYCLONEとかでライブをしていたので、下北沢で活動している方たちと対バンをすることはなかったのですが、ズボンズのドンマツオさんと一緒にライブをするようになってから下北沢でもライブに出るようになったんです。そこで、よく見かけるなぁってずっと気になっている人がいて……(笑)。

次廣:それが、僕(笑)? たしかに、普通のお客さんにしては風貌が怪しいからね。

クロダ:目立ちますからね。それで、ずっと気になっていたんですけどTwitterのタイムラインで見たことのあるアイコンの人がいて、「これ、あの人だ!」ってすぐに気づいたんです。プロフィールに飛んだら、次廣靖さんという方で、フジテレビの深夜帯で『輝け! ロック爆笑族』という番組を作っていた人だって判明したんですよ。

次廣:あの番組って、半年に1回ずつの放送で全3回しか放送してないんだけどね。

クロダ:実は、自分が音楽をやるきっかけのひとつが『輝け! ロック爆笑族』だったんですよ!俺は茨城県出身なんですけど、田舎にいると情報を得るチャンスがすごく少ないから、毎朝テレビ欄を見て、音楽関係のものは全て録画していたんです。学生時代はネットは今ほど普及をしていなかったので、情報源はテレビかラジオか雑誌だけだったんですよ。だから、耳で聴いて目で見られるテレビって、自分の情報源としてすごく大切なものだったんです。それで『輝け! ロック爆笑族』を見て、それはもう衝撃を受けました。

次廣:初回放送はたしかお正月だったから、2回目の放送を見てくれたのかな。

クロダ:そうだと思います、司会はきんたミーノさんでした。

次廣:じゃあ2回目だね。1回目と3回目の司会はデーモン小暮さんで、2回目がきんたミーノさんでした。モダチョキの矢倉邦晃さんと濱田マリちゃんにも出てもらったな。

クロダ:見た瞬間に、「変な番組が始まったな!」って思ってたんです(笑)。お笑いとロックがまざったような……とにかく衝撃でした!

次廣:面白いバンドを出してみようっていう番組だったので、いろんな人に出てもらったよね。モダチョキの矢倉さんにはバンド選びも協力してもらっていて、関西のバンドをよく紹介してもらいました。

クロダ:そうだったんですね。そのなかで、いちばんえげつないなって思ったのが殺害塩化ビニールレーベルの猛毒でした。だって、いま考えても、民放で猛毒を出演させるってすごいですよね(笑)。田舎にいるとあんなに刺激的な音楽に出会えることがなかったので、とにかくショックで、感銘を受けて。すぐCDを買いに行ったんですけど、地元のCD屋さんには「ウチには入荷しません!」って言われて、今みたいにネットですぐ取り寄せられる時代じゃなかったし、「今すぐ猛毒のCDが欲しい!どうしたらいいんだ?!」って思って、池袋のタワーレコードに行けば買えるっていう噂を聴いて、地元から2時間半かけて買いに行ったのを覚えています。

次廣:へえ、タワレコで売ってたんだ! 殺害塩化ビニールは早くから通販をやってはいたんですけど、ちょうどオウム事件の頃で、「殺害」と書かれた封筒が届くって郵便局にクレームが入って怒られたらしいですよ(笑)。猛毒は、たしかラママで最初に見たんだよね。

クロダ:ええっ、ラママでライブをされていたんですね!

次廣:すぐ出禁になったらしいですけどね(笑)。火とか水とか使っちゃうから。当時、音楽とお笑いの人が一緒にラママでライブをしていた時代ですね。

忌野清志郎さんに影響を与えた映像作品とは…?!

クロダ:そんな経緯で、大好きな番組を作った人だったんだと知って、ずっと話してみたいって思っていたんですよ。最初に話しかけたのは、新宿ロフトの笹口聖誕3億周年記念企画『笹祭』でした。次廣さんを見かけて、トイレに行くタイミングを見計らってついていって話しかけたんですよ。

次廣:そういえば、ロフトだったね!

クロダ:『ロック爆笑族』をやっていたころ、深夜番組の『トゥナイト2』でいろんなカルチャーを紹介するコーナーがあったんですけど、そこでロリータ18号が紹介されたんです。

次廣:僕がちょうどビデオを撮っていたころですね。じゃあ絶対ロリータ18号の現場でも会っていましたね。

クロダ:そうなんです! めっちゃかっこいいし面白いバンドだなって思ってライブハウスに見に行って。ロリータ18号の『アメリカ珍道中』っていうドキュメンタリービデオ作品を買ったら、なんとそれも次廣さんが制作していて。

次廣:そうそう。ロリータ18号が「SXSW(サウスバイサウスウエスト)」に出るのに合わせてアメリカツアーをやって、そのドキュメンタリーを撮影したの。僕は5日間くらい一緒に行ったのかな。

クロダ:しかも『アメリカ珍道中』は、かの忌野清志郎さんに影響を与えた作品っていう。

次廣:清志郎さんが日本ツアーやりたいって思ったのは、あのビデオを見たかららしいよね。下北沢CLUB Queにロリータ18号が出たとき、最後に清志郎さんと藤井裕さんが出てきて「サルーン」を歌ったりもしてくれたんだよ。ロリータ18号のライブはキョンキョンが出てきて「学園天国」を歌ったりもしていましたね。

クロダ:猛毒の殺害塩化ビニールと、BENTENレーベル(女性アーティストを専門とするインディーズレコードレーベル、ロリータ18号はここからデビュー)が一緒にラママでやっていたイベントを見たときなんて、今まで田舎でためこんだフラストレーションが爆発しました!

次廣:ちょうどロリータ18号が伸び盛りだったから、お客さんもたくさん入っていましたしね。

クロダ:こんな風に好きな音楽を共有できる場所があるのか……って感動しました。そういえば、『タモリの音楽は世界だ』もすごく見ていたんですよ。あれも次廣さんが担当されていた番組ですよね。

次廣:見てくれていたんだ!

クロダ:世界的な人からアンダーグラウンドな人まで、毎回いろんな人が出ていてすごかったですよね。

次廣:デヴィッド・ボウイ、10cc、ギルバート・オサリバンとかも出ていましたからね。

クロダ:やばいですね(笑)。俺はパット・メセニーを初めて知ったのが『タモリの音楽は世界だ』でした。ジャングルというジャンルを知ったのもこの番組なんですよ。バラエティ番組だけど、音楽の知識をたくさん教えてくれる番組でした。モダチョキも出ていましたよね。

次廣:モダチョキはすごく長い時間を使って紹介しましたね。キューンからデビューした直後かな。彼らのライブを見に行ったらすごく良くて、自分からすぐ番組にプレゼンをしたんですよ。あのころは、有名じゃないバンドでも、「面白かったらとにかく10分でも流せばいい」っていう幸せな時代でした。

クロダ:そのときにはもちろん誰が作ったのか知らなかったんですけど、「俺が影響を受けた番組たちを作ったのは次廣さんだったんだ……」ってあとから知ったんです。

次廣:テレビはチームだから、僕はその場にいたっていうだけだけどね。僕が作ったというよりは、そういう番組を作るチームに関わっていたって感じかな。

赤い公園の衝撃

クロダ:次廣さんは、なぜ映像を作る仕事についたのですか?

次廣:他に行くところがなかったからかな(笑)。テレビの製作会社なら、いろんなことをやらせてくれるんじゃないかなって思ったんです。当時は大きな製作会社がたくさんあったわけじゃないから、株式会社イースト・エンタテインメント(入社当時は株式会社イースト)も、ゴールデンの番組がひとつあるかないかくらいだったんですよ。そのくらいならちょうどいいかなと思って(笑)。その頃はインディーズ音楽を聴くことはほとんどなかったけれど、何年かしてライブハウスに行くようになって猛毒とかを知って、現場に見に行ったらすごく面白かったので、すぐに番組で取り上げました。

クロダ:そのおかげで俺は猛毒を知ることができました(笑)。一時期は仕事が忙しくてライブハウスにずっと行っていなかった時期があるそうですが、また現場に行くようになったきっかけってなんだったんですか?

次廣:たぶん、「SXSW」に遊びにこないかって誘われてからかな。ちょうど、2011年に自分の情報番組があったから、そこで取り上げるっていうことならスケジュールもつけられるかなって。それで見に行ってみたら、小さいバーから大きなホールまで、もう町中に音楽が溢れているのを見て、東京のシーンはどうだったかなと思ってまた現場に顔を出すようになったんですよ。東京でも「SXSW」みたいなイベントができるとは思わなかったけれど、シーン自体はあるのだろうか、って。そうやってライブハウスをまわっているときに、新宿レッドクロスで赤い公園に出会ったんです。

クロダ:衝撃的でしたか?

次廣:すごかったですね。赤い公園も、最初はお客さんが20人とかしかいなかったんですよ。しかも、演奏をしている間にお客さんがどんどん帰って行っちゃうみたいな感じだったけれど、すごい才能ってあるんだな、と一瞬で感じました。一つの曲、ちょっとしたフレーズからも、その背景にある音楽の歴史とかを感じられるし、そこに加えて新しい試みがあるバンドだと思いました。

クロダ:そのあと、『次世代ロック研究開発室』にKing GnuやCHAIが出たりとか。

次廣:あの番組はもともとソニーミュージック作った部署で、若い人を紹介する番組を作りたいっていうことだったんですね。僕はたまたまライブハウスで部署の人を紹介をしてもらって、「そういう内容なら僕はできますよ」と思って担当になったんです。

クロダ:それで担当されたんですね。次廣さんはこの業界にはいってどのくらいですか?

次廣:35年くらいです。

クロダ:……その長い間で、もうやめたいって思ったことはありますか?

次廣:ないですね(笑)。昔は過酷でしたけどね。でも、この仕事をやめても他にやることがないし(笑)。あとは、新しい機械に触れたり、新しい才能や、子どもの頃から尊敬する方々に会えますから。仕事を続けていたほうが自分が好きなことができるんですよ。映像に関しても、テレビの世界がいちばんお金をかけて撮ることができるから。僕はアーティストじゃないし、番組は作品ではなくて商品だと思っています。もちろん、こういうものにはしたくないっていう選択肢はあるけれども、スポンサーやテレビ局からお金をいただいて作る限りテレビの番組って商品だと思うので。工場のように、予算内で納期を守って番組を作るのが僕の仕事。

クロダ:最近も、「無事に納期が間に合った」ってTwitterに書かれていましたもんね。

次廣:アーティスト気質を否定するわけではないですが、僕自身は違うタイプだと思います。MVを撮るときも、アーティスト本人の、「こういうものにしたい!」という想いがありきだから、それならば僕は望まれる映像にどうやって近づけていこうかなっていう気持ちが強いかな。作り手としてではなくて、ただ単にお客さんとして見る側のときは、子どもと同じころのようなわくわくする感じがありますけどね。

クロダ:そのワクワク感はちゃんとキープしているんですね!

音楽をやめてしまうことこそが不幸

クロダ:音楽を聴き続けてきて、幸せだなって感じることはなんですか?

次廣:ブライアン・ウィルソンが『スマイル』を完成させたことですね! 2004年にロンドンでお披露目ライブがあったんだけど、世界中の音楽ファンが、「『スマイル』っていうアルバムがどういうものなのか」とずっと考えていた答えがついに見られた、っていうのが中学生のころから聴いていた音楽が一区切りついた感じかな。かと思えば、2011年くらいには赤い公園を見て、こんなにもポピュラーに訴えられるのにイノベーションもある音楽を作る天才っていたんだな! って思いました。そういった音楽に出会うことが、僕にとって幸せなことですね。でも、日本の若い人たちって、テレビに出ることだったり、フジロックのような音楽フェスに出ることをゴールだと思っているじゃないですか。そんな不幸な状況って、日本だけな気がする。

クロダ:たしかに……。それはなぜでしょう?

次廣:音楽の楽しみ方が狭いんじゃないかな。だってさ、イギリスとかアメリカとかでは、「レコードを出してそれなりに売れてはいるけれど普段は普通に働いている人」っていっぱいいるんですよ。週末はバーで演奏をしている会社員だったり、それを30年くらいずっと続けている人がたくさんいるんですね。そういう人が、自分の音楽がヒットチャートに入らないからって音楽をやめてしまうことこそが不幸だし、その音楽を求めている人にずっと届け続けることが幸せなことだから。日本は、売れるという定義がものすごく狭いような気がする。

クロダ:生活のためには、売れないと音楽を続けられない状況も多いと思うんです。

次廣:そうだね。渡邉ケンさんがはじめた「TOKYO BOOT UP!」というイベントには、若いミュージシャンが働きながらでもどうやって音楽を続けられるかを考える人たちが集まっていました。生活をしながらもバンドを続けられる方法をもっと大人たちも考えたほうがいいんじゃないかって、よく話していましたね。

クロダ:お金がなくて音楽をやめることを見るのはつらいですね。俺自身も、次の世代に知識や自分の経験を渡していく立場になってきた気がしているんです。若い世代が活躍する場をつくることも重要な仕事だから。

次廣:もし、本当に音楽で食べていこうと思うなら著作権のことも知らなくちゃいけないのに、みんな調べる様子もないし。だから、事務所や出版社と不利な条件で契約させられたり……。

クロダ:そうですね。でも、自分も20代のころは知識を得るための時間すら音楽に使いたいって思っていたから(笑)、できるだけまわりの大人がそれを教えていけたらいいですよね。

次廣:それはすごくわかる。ちょっと前まではバンドが物販のことを考えることですら、「ロックらしくない」って言う人がいたし。でも、それはおかしいよね。

クロダ:お金の問題で音楽が続けられない状況は悲しいことですからね。そのなかで、次廣さんのように音楽を広げていってくれる人の存在はありがたいです。

次廣:そういう願いはすごくありますね。映像を撮ったり番組を作っている間は、少しでも彼らの音楽が多くの人の耳に入ったらいいな、と。それはほんの少しかもしれないけれど、でもみんなが音楽を続けられたらいいなって思います。視聴率しか考えない番組もあるから、全部の番組が志を強く持っているわけじゃないですけどね(笑)。

クロダ:あと最近は、トークの上手さを注目されがちなことも気になっていました。

次廣:そうそう! テレビは顕著にそうだよね。だから、曲が良くてもトークが上手にできない人は番組に出づらいんじゃないのってすごく感じる。

クロダ:トークが下手でもいい音楽があるのに。

次廣:トークは良くも悪くも印象づくからね。『笑っていいとも!』に大槻ケンヂさんが初めて出たときは、ああこの人はすぐに人気者になるなってすぐ思った。筋少の音楽が流れたわけじゃないのに、大槻さんのキャラクターで全国区になっていきましたよね。

"ライブハウスに行くのはこわい" という原点に戻った?!

クロダ:ざっくりした質問になってしまうんですけど、次廣さんはコロナ禍についての音楽ってどう思っていますか?

次廣:収束するところは見届けたいなって思いますね、コロナの解決を見ずに死なないように(笑)。ライブをやる・やらない、行く・いかない、どの選択肢も間違いではないと思うんです。ただ、お客さん自身が、こわくてライブハウスに来られなくなっているんじゃないかなって気はする。会場がどんなに対策をとっても、家族のことを考えたりするとなかなか足を運びにくい。そういったお客さんの気持ちがいつライブハウスに戻ってくるのかな、っていう心配はありますね。ただ、「ライブハウスに行くのがこわい」っていうのは原点に戻った気もするけど(笑)。

クロダ:それこそ、西新宿にあったころの新宿ロフトは行くのがこわかったですしね(笑)。今後、どうやってライブハウスを維持していくのかっていうのは考えちゃいますね。

次廣:札幌なんて、もう大変なことになっているそうですね。ライブハウスが閉店してしまったせいで若いバンドが出る場所がなくなって、次の世代を育てられる場所が全部なくなっていると聞きました。

クロダ:文化的にすごくこわいことですよね。音楽業界自体が衰退してしまう。

次廣:お金がある人たちが、外からもわかるように支援してほしいし、自治体や政府の支援も続けてほしいですね。

クロダ:新しい人が出てこなくなることは寂しいことですし、だってまだこんな音楽があるんだ! ってワクワクしたいですもんね。

次廣:あとは、今は人数制限があるだけに、ライブハウスを満杯にするアーティストほどライブをしにくくなっている矛盾もきついよね。初めて緊急事態宣言が出たときほどの戸惑いはないかもしれないけど、これがまだ続くのかと思うとすごく心配だよね。

クロダ:ライブをやるメリットとやらないメリットを天秤にかけても答えが出ないですからね。前に次廣さんが、「僕がこういう番組を作ることによって見てくれる人がいるのかな」ってツイートをされていましたけど、次廣さんくらいたくさん番組を作っていてもそう感じることがあるんですね。

次廣:だって、以前、ドリアン助川さんとやっていた『金髪先生』という番組は放送時間が午前2時とか3時とかだから(笑)! 深夜番組じゃなくて明け方番組だよねって制作現場でよく話していました。でも、テレビの番組ってどんなに視聴率が悪くても何万人とかは見ているから、そう考えるとそれが少ないとは思わないけどね。たしかに、テレビっていう基準で見たらはるかに少ないけど。でも見てくれている人がいるのなら、その人に訴えられるものがあるようにとはすごく考えています。それでいうと、それこそメディアとしての役割かなっていう気はするよね。

クロダ:とにかく、猛毒を知るきっかけを作ってくれたことをすごく感謝しています(笑)。ありがとうございます!

クロダセイイチ プロフィール

作曲家。Genius P.J's(ジニアスピージェイズ)トラックメイカー、キーボーディスト,ギタリス ト/アレンジャー/ミキシングエンジニア/プロデューサー。 DAOKOとのコラボレーションシングル ”world is yours”の制作や、エレファントカシ マシのライブ参加等世界的に活躍されているトランペッター “近藤 等則”との楽曲制 作プロジェクトを立ち上げる。 CM音楽制作、楽曲プロデュースや楽曲提供等ジャン ルを超えて活動中。

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