声を上げ「やっと自由になれた気がする」 独りぼっちだった赤木雅子さんがたどり着いた境地

仏壇に並ぶ赤木俊夫さんの写真=2021年2月(松田優撮影)

 彼女の表情には不思議と曇りがない。今や自分は1人で闘っているわけではないと思うからだ。学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当し、財務省の決裁文書改ざん に関わって自殺した元近畿財務局職員赤木俊夫さん=当時(54)=の妻雅子さん(49)が、真相解明を求めて大阪地裁に提訴してから1年を迎えた。「提訴までは近畿財務局に重い蓋をされていたけど、私は今ようやく、自由に言いたいことを言えます。夫は死ぬことでしか、本当のことを言えませんでした」。一人の女性が国を相手に声を上げ、何を得たのだろう。俊夫さんの面影が残る神戸市の自宅で、これまでの日々を振り返ってもらった。(共同通信=武田惇志)

 

 ▽びっしり貼られた付箋

 2月、取材に訪れると、ボーダーシャツ姿の雅子さんが笑顔で迎えてくれた。俊夫さんと2人で暮らした自宅で、現在は一人暮らしを続けている。記者が仏間で手を合わせると、雅子さんは「まずは」と言いながら俊夫さんの書斎へと案内してくれた。部屋には趣味だった書道の筆や墨が大量に残されていたほか、「俊山」と自身の号を記した自筆作品もあった。大ファンだった坂本龍一さんの音楽作品が並ぶ中、封が切られていないままのライブDVDも。「大好きだったから開封するのをちゅうちょしたのかな。結局、聴けずじまいになってしまいました」と雅子さんはつぶやく。 

 書棚に目をやると、村上龍さんの文庫本や中原中也、萩原朔太郎といった詩人の詩集が並ぶ。好きだった落語の本も多い。そんな中、ひときわ目を引いたのが、心理学やうつ病の本が十冊ほど並んでいる一角。五木寛之さんの「不安の力」(集英社文庫)などで、いずれも付箋がびっしりと貼り付けられていた。

付箋だらけの本=2月(松田優撮影)

 雅子さんに尋ねると、俊夫さんがうつ病を発症した17年7月以降、病状改善のため自ら買い集めたのだという。「それも、大阪地検特捜部の捜査が始まった12月までの短い間でしたけどね。それからは、本に目を通すことさえできなくなってしまいましたから」。事情聴取のため検事から連絡を受けるようになった俊夫さんは病状が急速に悪化し、体の震えが止まらないように。18年3月7日、居間で命を絶った。

 ▽「せつないやろ」涙でにじんだ遺書

 その日、俊夫さんが救急車で運ばれ、警察が鑑識活動をしていたとき、「奥さん、こんなのあるよ」と示されたのが、2日前に行った病院の明細書の裏や机上のメモ帳に走り書きされた遺書だった。「雅子へ これまで本当にありがとう ゴメンなさい 恐いよ 心身とも減いりました」。「涙でぬれてるな」と警察官に指摘され、目をこらすと「ありがとう」の「り」の字のインクがにじんでいたことに気付いた。雅子さんは「せつないやろ」と、誰にともなく言う。

 「現場はここなんですよね」。家具も少なく、すっきりとした印象を与える居間のテーブルで向かい合わせになって座っていると、雅子さんが隣接した窓辺を指しながら打ち明けた。自殺後、現場周辺を正視するに耐えず、奥にあったテーブルを窓側に寄せることで、周囲のスペースを埋めてしまったと雅子さん。現在、窓辺には、3月の春生まれだった俊夫さんのために、桃色のチューリップが生けられている。

涙でにじんだ遺書=2月(松田優撮影)

 ▽孤独見抜いた老練弁護士

 「夫の死の真相を知りたい」との一心で雅子さんは20年3月18日、国と佐川宣寿元国税庁長官に計約1億1千万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴。請求額が高額なのは、低額にした場合、「認諾」といって被告側が請求を認めて訴訟を終結させてしまう恐れがあったからだ。その場合、雅子さんが求めた法廷での真相解明は果たせないことになる。

 「以前、近畿財務局は別の弁護士を紹介してくれていたのですが、彼が作った訴状の請求額はわずか100万円でした」。長く大企業や政治家の不正を追及し、森友学園問題でも国の欺瞞をあばいてきた大ベテランの阪口徳雄弁護士に相談すると、「これでは認諾されてしまう」と心配し、現在代理人となっている生越照幸弁護士と松丸正弁護士を紹介したのだという。「100万円の訴状を見た阪口先生が、『ずっと独りやったんやな、つらかったんやろ』と声をかけてくれて。『あ、私って独り人だったんだな』って気付きました」

取材に応じる赤木雅子さん=2月(松田優撮影)

 訴訟では、俊夫さんが生前、文書改ざんの経緯をまとめたとされる「赤木ファイル」の存在が焦点となっている。請求棄却を求め争う国側はファイルの存否さえ明らかにせず、雅子さん側は2月8日、ファイルの文書提出命令を国に出すよう地裁に申し立てた。その後、非公開の進行協議手続きで、国側は赤木ファイルについて、人事異動を理由に意見提出を5月まで延ばしたいと発言。雅子さん側は「時間だけがいたずらに過ぎる」と反発している。

 誠意を感じられない国の姿勢や法廷での意見陳述で心労がかさむが、提訴によって得たものも多い。とりわけ再審無罪が確定し、雅子さん同様、国賠訴訟を闘う布川事件の桜井昌司さん(74)や、大阪市の小6女児死亡火災の青木恵子さん(57)との出会いには救われたという。「つらい思いをしてきたのに、2人とも大変明るい人柄。私も人生を楽しんでいいんだなと教えてもらった」。全国の冤罪事件支援に昼夜奔走する2人の姿勢から、前に向かうエネルギーをもらっている。同じ大阪地裁で闘う青木さんとは、互いの裁判に顔を出し合っているという。

左:桜井昌司さん 右:青木恵子さん

 雅子さんもまた、活動的な1年を送り「時の流れが速かった」と話す。裁判の準備やメディアの取材だけでなく、合間を縫っては昨年発生した熊本県の水害現場へも。ボランティアとして、泥かきや被災家屋の片付けを手伝った。「被災地のことが忘れられちゃうのが怖いという気持ちがあって。夫と同じで、忘れてほしくないんです」

 ▽ようやく叶った命日の墓参

 俊夫さんの3度目の命日となった3月7日朝、雅子さんは俊夫さんの故郷の岡山県倉敷市を墓参りに訪れた。

 「赤木家之墓」と記された墓石の側面には俊夫さんの戒名と行年が刻まれていた。冷たい風が吹き付ける中、黒のジャンパー姿の雅子さんは数珠を手に、親族と一緒に墓参。コーヒー好きの俊夫さんのために缶コーヒーや花のほか、俊夫さんに関する記事を載せた新聞や雑誌を供え、手を合わせて静かな祈りをささげた。

 命日に墓参したのは初めてという雅子さん。これまでは俊夫さんを一人にするのはかわいそうと考え、神戸市の自宅を離れたことがなかったという。しかし提訴後初の命日となった今回は、裁判の進捗を報告するために墓参しようと決心した。

墓参に訪れた雅子さん=3月7日、岡山県倉敷市(松田優撮影)

 墓参後、集まった報道陣の前で「夫に一番近い所に来ることができ、すごくうれしい。すがすがしい気持ちでお参りできた」と報告。一方で財務局や元同僚から連絡がなかったと嘆き、佐川氏や麻生太郎財務相の名前を挙げ「手を合わせに来てほしい。一人の人間が命を絶ち、どれだけ苦しい思いをしたか…」と声を震わせた。

 ▽「自由になり強くなれた」闘いはこれから

 すでに3度の口頭弁論が開かれたものの、裁判は国側の抵抗によって長期戦の様相を呈している。文書提出命令の申し立ては独立した別の裁判となり、その間は本来の裁判の手続きがストップしてしまうからだ。

 それでも日々、俊夫さんの声援を肌で感じ続けているという雅子さん。「先日も弁護団会議へ行こうと近所を歩いていたら、夫を見つけた気がしたんです。『トッちゃん』って声をかけると『マアちゃん、面白いことやってるなあ』と答えが返ってきたように聞こえて。どこかから楽しんで見てくれているような気がしています」

俊夫さんの書斎にたたずむ妻の雅子さん=2月(松田優撮影)

 かつて「独りやったんやな」と老練な弁護士に見抜かれた女性は、前を向いている。ためらいはない。「私は、提訴してから自由になれた気がします。自由になると、不思議と強くなれました」。真相解明のための長い闘いは緒についたばかり。やりきる覚悟だ。

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