ナショナルズのブラッド・ハンド投手 ブルペン投手専念で辿り着いた境地

インディアンス時代のハンド(ロイター=USA TODAY)

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=ブラッド・ハンド投手(ナショナルズ)】「自分の役割が分からなかったんだ。転機はサンディエゴ。そこからは何だかあっという間だったな」

ミネアポリス出身のブラッド・ハンド。前田健太投手が行くまであまり意識したことのない土地だったが、ツインズの球団関係者も記者らも素朴で丁寧な印象があり、まさにブラッドは知らないところでそっと手を差し伸べてくれるような、さりげないのに頼りになる優しさを感じさせる人物だった。

そんな彼だから昨年、インディアンスのロベルト・クレメンテ賞(人格者で慈善活動を行っている大リーガーに贈られる賞)候補になっているのを見て、驚きつつ納得した。

ブラッドは2019年に「Helping Hands」という慈善団体をつくり、若い野球選手らを支援する活動などを精力的に行っている。

「両親がボランティアを積極的にするのを見てきたし、自分の子供たちに互いを尊重し合うことを教えたいから」と、チャリティーに募金するだけでは飽き足りず、自らも組織を立ち上げ、コロナ禍でも安全に野球ができるようにと昨年は野球プログラムに参加する150人の子供ら一人ひとりにミットを配ったり、オンラインで交流したり、試合のドライブイン観戦パーティーも開催したり。少し話しただけでは、そこまで行動力のある人だということは分からなかったが、クリーブランドの地に移ってわずか2年で地元の大きな存在になっていた。

思えば、コロナ前のインタビューで、ブラッドは自分の過去を振り返って「自分はサンディエゴに行くまで、自分の役割が分からなかったんだ」と「役割」という言葉をよく口にした。

実際に高校生ドラフトでプロ入りしたものの、マーリンズで08年から15年まで大リーグとマイナーを行き来し、先発とブルペンを行き来し、最終的にはリリースされて16年にパドレスに拾われる形になった。

「パドレスで初めてフルタイムのブルペンピッチャーになった時にすべてが変わったんだ」

性格的にも合っていたのだろうと言う。

「あまり何も気にならないんだよね。セーブの機会でも、どのイニングとも変わらない。打たれてセーブできなかったら確かに気分は最悪だけど、球場から出たらすぐ次のページへ進むことができる。改めて考えると、自分はブルペンが好きだなって思う。幼いころから先発投手だったから、以前は中継ぎになった時にどうアプローチしていいのか長いこと分からなかったけど、今は毎日投げる可能性があることが好き。4日待ってマウンドに立つ先発より自分に向いていると思う」

「以前は制球力にも不安があったけど、なんかいろいろ考えて投げても打たれることにだんだん疲れてきたんだよね。それだったら一番得意のピッチングして、それが打たれたら仕方ないって思いながらスライダーをよく投げるようになった」

吹っ切れたブラッドは、パドレスの2年目でオールスター戦に選出され、クローザーにまで上り詰めた。

「ずっと先発投手にあこがれてこれまでやってきたから、先発に未練がないと言えばウソになる。『リリーフ全員、先発崩れ』なんていうジョークがあるくらいだし、中継ぎだけやってきた投手はきっといない。でも、最終的にチームに貢献できるかできないか。チームの中での自分の役割は何なのか。もう自分はブルペン投手。先発には戻らないと思う。それにね、先発投手として年間たくさんの球を投げてきたことが、常に準備万端でいなければならないブルペン投手の根底にあると思うんだよ」

自分の役割。ブラッドにとってはチャリティー活動もまた、その一つなのだろう。目立たないがかっこいい、ブラッドはそんな選手の一人だ。

☆ブラッド・ハンド 1990年3月20日生まれ。30歳。米国・ミネソタ州出身。左投げ左打ちの投手。2008年のMLBドラフト2巡目(全体52位)でマーリンズから指名されプロ入り。11年にメジャーデビューし、同年は12試合に登板して1勝8敗、防御率4・20。以降は伸び悩み、16年にパドレスへ移籍。同年リリーフとして82試合に登板し4勝4敗1セーブ、防御率2・92と飛躍。リリーフ投手としての評価が定着すると、18年シーズン中にインディアンスに移籍。20年はア・リーグのセーブ王に輝いた。21年1月にナショナルズと契約した。

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